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【インタビュー】70人の従業員を億万長者に 85歳のIT起業家、今人生を振り返る

9/16(月) 12:03配信

The Telegraph

【記者:Zoe Beaty】
(※ 起業家で慈善活動家のステファニー・シャーリー氏へのインタビュー記事です)起業した時、周りは私をばかにした。もしかすると、それで火が付いたのかもしれない。私は大学も出ていない、ナチス・ドイツから難民として英国に逃れた、自閉症の子どもを持つ29歳の女性だった。そして1960年代、テクノロジー業界で働くただ一人の女性だった。誰かに保護されるのは、あまり好きではなかった。ユダヤ人として、それはもう十分に経験した。

 最初に男性ばかりの場所を味わったのは、男子校に入学した10代の頃だ(数学に関心があった私を満足させられた唯一の場所だった)。最初の勤務先は、英ロンドンのドリスヒルにある郵便局研究所だった。そこでは、男性と女性の給与水準が異なっていた。

 ソフトウエア会社を自宅のリビングで始めた時の元手はわずか6ポンド(現在のレートで約800円)だった。主に女性を採用しようと考え、実際に発足時の従業員300人のうち男性は3人だけだった。また、子育てをしながら働けるよう、完全なフレックスタイム制を導入した。

 業界のリーダーたちに宛てた手紙は、すべて笑いものにされた。何度も何度も無視され、夫のデレクに提案され、本名(ステファニー・シャーリー)ではなく、家族間のあだな「スティーブ」と署名するようになった。すると、じきに返事がたくさん舞い込むようになった。今でもこの名前を使うし、気に入っている。

 見込み客が自宅の「事務所」に電話してきた際、赤ん坊だった息子の泣き声に気をそがれていたので、私は戦略を立てた。従業員のタイピング音を録音し、電話の後ろで流すことで幻の忙しい事務所をつくり出したのだ。

 1939年、オーストリアのウィーンからユダヤ人の子を英国に送る救出活動「キンダートランスポート(子どもの輸送)」に、母親が9歳の姉と私を送り込んだ時、私は5歳だった。私たちのように、ナチスの迫害から逃れるため、親によって英国に送られたユダヤ人の子どもは1万人ほどいた。第2次世界大戦が始まる10か月前のことだ。

 2日後、リバプール・ストリート駅に到着した。私たちは英イングランド中部スタフォードシャーのリトルアストンに住む、子どもがいないスミス夫妻に引き取られた。私は夫妻の家に着くまで、ずっと号泣していたらしい。私たちは二人のことをおじさん、おばさんと呼んだ。

 バスに乗った際、黒人の女性に暴言を吐く白人男性に対し、おばさんが公然と批判する様子を見て、善悪の感覚を身につけ始めた。スミス夫妻とは18歳になるまで、一緒に暮らしたり、別々に暮らしたりした。

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最終更新:9/17(火) 8:35
The Telegraph

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