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それは、自動車史そのものだった。フォード創立100周年記念イベント

9/16(月) 7:00配信

LEON.JP

自動車ジャーナリストのレジェンド岡崎宏司氏が綴る、人気エッセイ。日本のモータリゼーションの黎明期から、現在まで縦横無尽に語り尽くします。今回はフォード創立100周年イベントについて語ります。

MINI生誕30周年記念ミーティングの話しをしたばかりだが、今週は「フォード創立100周年記念イベント」の思い出を話す。

2003年6月、創立記念イベントが行われたのはもちろんディアボーン。ヘンリー・フォード2世ワールドセンターの広大な敷地のあちこちにテントが張られ、ステージが設けられ、様々なイベントが行われた。

イベントは5日間開催されたが、僕が参加したのは最終日。初夏の陽射しが眩しく心地よい、、そんな日だった。

まずは、フォード100年の歴史を飾ってきたクルマたちの見学から。その先頭にはもちろんT型フォード(1914年)があった。

T型フォードは、当初から部品の規格化、流れ作業の導入などを推し進めたが、1920年には年産100万台に達したのだからすごい。
量産の成功は、価格を大きく押し下げ、自動車は多くの人の手に届くようになった。

「自動車を創り出したのはダイムラー・ベンツ」だが、「自動車を広く庶民のものにしたのはフォード」と言われる所以だ。

T型フォードやA型フォードの前には、もちろん敬意を持って足を止めた、、が、とくに長く足を止めたのは、50年代半ばから60年代にかけて誕生したクルマたちの前だった。

サンダーバード(55年)、クラウン・ヴィクトリア(55年)、フェアレーン(58年)、スカイライナー(59年)、マスタング(64年)、、、僕が青春時代に憧れていたクルマたちだ。

僕は子供の頃からクルマが大好きだったが、まず好きになったのはアメリカ車。とくに50年代後半辺りからの、華やかでカラフルなアメリカ車が好きだった。まだ、欧州車の「大人の味」を理解する感性も経験もなかったからかもしれない。

それに「シンプルな夢」をそのまま形にしたようなアメリカ車に憧れるのは、べつにおかしなことでもないだろう。

このイベントに集まったフォード車は3000台ほどと聞いたが、MINI生誕30周年の2万5千台よりははるかに少ない。でも、巨大でカラフルなアメリカ車が3千台、広大な芝生を埋め尽くした様は壮観だった。

それも、フォード100年の歴史を彩るクルマたちが、一同に勢揃いしているのだからワクワクする。

ボルボ、ジャガー、ランドローバー、マツダ、アストンマーチン、、当時、フォードグループにあった、これらメーカーの歴史を彩るクルマたちも華を添えていた。

当時のフォードを率いていたのは、ビル・フォード。環境問題への取り組みにも積極的な経営者として知られていた。その取り組みの成果のひとつとしてお披露目されたのが「グリーンルーフ」プロジェクト。

ディアボーンのルージュ工場内にあるトラック最終組み立て工場の屋根を緑化する「グリーンルーフ」構想だ。

大量生産という意味での「20世紀産業史の象徴」とも言われた巨大なルージュ工場は、近代化という時代の波に乗り遅れ、環境面でも大きな課題を抱えていた。

その工場の屋根をシーダムという乾燥に強い多年草で覆い、年間1514万リットルの雨水を吸収。環境管理に多面的な効果をもたらすという。

同時に、工場敷地内には多くの樹木を植え、花壇を造成する。さらには、2万匹のミツバチを飼い、蜂蜜を狙って鳥が集まり、鳥が花粉を運んで多くの花を咲かせる、、そんなプロジェクトにも取り組んでいることが公表された。

その後、この構想がどう進んだのか、あるいは後退したのかは知らない。が、100周年イベントでこの話を聞いたとき、僕は心が温かくなったことを覚えている。

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最終更新:9/16(月) 7:00
LEON.JP

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