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「骨になっても…家族に会いたい」非転向長期囚ソ・オンニョル告別式

9/16(月) 17:16配信

ハンギョレ新聞

29年獄中生活後、統一・民主化運動に献身 二人の息子、会えぬまま死去

 刑務所で29年を過ごした非転向長期囚ソ・オンニョル氏の告別式が行われた。ソ氏は拷問の後遺症を患い、今月11日午前9時42分、91歳でこの世を去った。

 「統一愛国烈士ソ・オンニョル先生民族統一葬葬儀委員会」は、光州市東区にある文彬精舎(ムンビンジョンサ)の極楽殿の前庭で「ソ・オンニョル先生民族統一葬告別式」を14日午後12時に開いた。光州・全羅南道地域の60余りの市民団体で構成された葬儀委員会は、ソ氏の最期を共に追悼した。葬儀委員長を務めた6・15共同宣言実践南側委員会光州全南本部のキム・ジョンギル常任代表は、弔辞で「あなたの人生は、朝鮮半島分断の十字架刑罰」だと述べ、「先生の霊前には、生涯むせぶほどに恋しがっていた妻も、愛する2人の息子もいない」と語った。

 ソさんは「分断の痛み」を身に刻みながら生きてきた。全羅南道新安(シナン)出身の彼は、高麗大学経済学科在学中の1950年、朝鮮戦争の時に北朝鮮の人民軍に入隊した。北朝鮮では女性教員と出会い結婚した。1961年に工作員として韓国に派遣されて逮捕され、刑務所で29年を過ごした。出所して光州広域市に住んでいた彼は、全国の民主化・統一・人権運動の現場を回りながら記録し研究した。教育と著述活動も続けてきた。『政治経済学の基本』という本を出版し、南側の生活を日記形式で記録した『切れ端日記』も10冊以上出した。北朝鮮に住む子どもに自分が生きてきた記録を伝えたかったからだ。

 非転向長期囚63人が北朝鮮に行った2000年にもソさんは家族に会えなかった。すでに南へ転向してしまったため、「非転向長期囚」ではないという理由からだった。当時、ソさんは「私が書いたのは転向書ではなく、『出所後政治活動をしない』という誓約書だ」と語った。北に住む妻に対して1998年に書いた手紙もいまだに送れていない。 彼は「おまえ!今も生きているのかい?私が発つ時、おまえは病院に入っていたから会うこともできず来てしまったが、生きているのか気になってしかたがないよ」と書いた。ソさんは昨年4月のハンギョレとのインタビューで「最後の願いは死ぬ前に妻と2人の息子に会うこと」と語った。ソさんが平壌(ピョンヤン)を離れる時に置いてきた二人の子どもは5歳(56年生)と3歳(58年生まれ)だった。

 「長期拘禁良心囚ソ・オンニョル先生送還推進委員会」は、2017年からソさんを北朝鮮に送ってほしいと政府に要求してきた。1992年、大学生記者の時にソさんにインタビューして以降、ソさんとの縁を保ってきたチョン・ギョンミさん(48)は「ソ先生の最後の願いは北に置いてきた家族に一度でもいいから会うこと」とし、「先生は『遺骨になっても北にいる家族のもとに行きたい』とよくおっしゃっていた。火葬された先生の遺骨をいつか北に送ろうと思う」と話した。

イ・ジョンギュ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

最終更新:9/16(月) 17:16
ハンギョレ新聞

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