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「社会から女とみなされることのめんどくささ」について―王谷晶『どうせカラダが目当てでしょ』武田 砂鉄による書評

9/18(水) 6:00配信

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◆私のカラダは私のもの 私のことは私が決める

オンナのカラダをどうやってオレのものにするかとマジで考えているオトコというのは意外に多い。ひとまず男という性で生きている自分は、その姿を横目で見ながら「いや、どこまでいってもオマエのものじゃないだろ?」とぼそぼそ呟(つぶや)いてきたのだが、ここにきて、本格的な拡声器に出会うことができた。

私の体は私のものであるという当たり前の定義を守り抜くため、「女としてカラダを運営していること、社会から女とみなされることのめんどくささ」について、乳、髪、腹、足、肌、尻等々、それぞれのパーツをお題に綴(つづ)ったエッセー集。正面突破というか正面爆破というか、ムカつく事象の目の前に爆弾を置いて大破させて更地に戻そうと試みる筆力に圧倒される。

文脈を無視していくつか引用してみる。「『女生徒の下着は白に限る』という吐瀉物リリース待ったなしなキモい校則」「Photoshopで松崎しげるのコントラストを少し下げたような妙にギラついた雰囲気を醸(かも)す壮年男性」「セックスに大切なのは、一に同意で二に同意、三四がなくて五に検査」……この手のキラーフレーズがすさまじい頻度で続く。フレーズが実際に、キラー=殺し屋として機能していくのだ。

今の世の中、ほら、社会って理不尽なものだから、文句ばっかり言っていてもしょうがないよ、みたいな雰囲気が充満している。ふざけんなと思う。文句ばっか言ってりゃ社会は変わる。

とりわけ女性のカラダは「他人や社会に勝手に品評されジャッジされ」てしまう。「こんな世の中で、女子が一人一日生き延びるだけでそれはもう立派なレジスタンスなのだ」。私のことは私が決める。主体的に生きるために放射された、搾りたての怒声が詰まった「火炎瓶」だ。

[書き手] 武田 砂鉄
1982 年東京都生まれ。出版社勤務を経て、2014年秋よりフリーライターに。 著書に『紋切型社会』(朝日出版社、2015年、第25回 Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞)、『芸能人寛容論』(青弓社)、『コンプレックス文化論』(文藝春秋)、『日本の気配』などがある。

[書籍情報]『どうせカラダが目当てでしょ』
著者:王谷晶 / 出版社:河出書房新社 / 発売日:2019年07月23日 / ISBN:4309027946

サンデー毎日 2019年9月1日号掲載

武田 砂鉄

最終更新:9/18(水) 6:00
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