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堀江翔太「日本、すごいんやぞ!と証明する」きょうラグビーW杯開幕ロシア戦

9/20(金) 6:10配信

スポーツ報知

 アジア初開催のラグビーの祭典「第9回W杯 日本大会」は20日、熱戦の火ぶたを切る。史上初の8強入りを狙う世界ランク10位の日本代表は19日、開幕ゲームとなる1次リーグ初戦の同20位・ロシア戦に向け、試合会場の東京スタジアムで前日練習を行った。3大会連続代表の先発フッカー堀江翔太(33)=パナソニック=は「日本、すごいんやぞ!と証明する」と力強く宣言。前回15年大会で逃した歴史的ベスト8の実現を誓った。

 堀江の悲願成就への思いが爆発した。主将のリーチと双璧を担うジョセフ日本の大黒柱は「日本人の強さ、日本人できるぞってところを証明したい」と短い言葉に決意をにじませた。

 晴天となった前日練習のグラウンドには国内外、約300人の報道陣が詰めかけた。開幕戦のチケットはほぼ完売。東京スタジアムは、満員の4万9000人で埋まる見通しで舞台は整った。開幕戦会場の青々とした芝生の上で、匂い立つW杯の熱気を深く吸い込み、堀江は「この4年間、準備してきたことを見せる」と闘志に火をつけた。

 9月19日は、4年前の15年W杯1次リーグ初戦で2度優勝の南アフリカ代表から大金星を挙げた歴史的記念日だ。自身も貢献した栄光を「昔のことなんで」とさらりと流し、ベテランらしく当時の思い出話を披露して爆笑を誘った。南ア戦の前日練習で、リーチと結託して当時のエディー・ジョーンズ代表監督の指示を無視。予定外の練習をして激怒された。「4年前のいまは怒られてたって感じ。リーチ、怒られてたわぁ」

 “桜の戦士”31人のうち、8人のW杯経験者の一人で16年には主将も務めたキーマンだ。BK(バックス)級のパス技術を持ち、攻撃ラインに参加した際にはノールックパスを放るなどのオールラウンダーを、ジョセフ代表ヘッドコーチは8強入りへ絶対不可欠な選手の一人に挙げる。

 引退と隣り合わせの大けがを乗り越え、こぎつけた3度目のW杯だ。スクラムの“職業病”がたたって15年W杯の開幕7か月前に首を手術。吐き気に苦しみ、自力で歩けない状態となり、左手の握力は9歳女児平均の9キロにまで落ちた。

 昨年11月は右足疲労骨折の手術。当時はW杯のめどすら立たなかったが、7月のパシフィックネーションズ杯に復帰して優勝に貢献。それでもラグビーの神様は試練を与えた。8月下旬の網走合宿で首を痛めて、6日の壮行試合・南アフリカ戦を回避。「神様がくれた休息」と受け入れ、ロシア戦の先発に間に合わせた。

 集大成のW杯で悲願の8強へ「僕自身、最後になるかもしれない年齢なので一試合一試合、全力をかけてやりたい」。日本中を興奮させた4年前を超えるW杯にする。(小河原 俊哉)

 ◆堀江 翔太(ほりえ・しょうた)1986年1月21日、大阪・吹田市生まれ。33歳。パナソニック所属。ポジションはフッカー。大阪・島本高―帝京大卒。2009年から日本代表で通算61キャップ。W杯は11、15年に出場。13年に日本人FW初のスーパーラグビー(豪州・レベルズ)に参戦。家族は妻と2女。180センチ、104キロ。

 ◆堀江の19年W杯ロード

 ▼15年12月 19年W杯の日本代表強化チーム「スーパーラグビー(SR)サンウルブズ」の新規参入に賛同して加入。辞退者が多かったチームの旗揚げに貢献。

 ▼16年2月 サンウルブズのデビュー戦(対ライオンズ)で歴史的初トライ。

 ▼16年11月 ジョセフ日本の本格始動で共同主将に。

 ▼17年2月 主将の風格を出すため、髪形を七三分けからコーンロウ(編み上げ)の三つ編みに。

 ▼18年9月 右足舟状(しゅうじょう)骨を疲労骨折。

 ▼同11月 右足手術。

 ▼19年2月 髪形をコーンロウからドレッドヘアに。

 ▼19年3月21日 大腸がんで闘病していた父・慎一さん(享年64)が死去。

 ▼同28日 実戦復帰。

 ▼8月下旬 網走合宿で首を捻挫。

 ▼9月6日 南アフリカ戦を回避。

最終更新:9/21(土) 18:49
スポーツ報知

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