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表参道で知られる「同潤会」 モダンなアパートはすべて取り壊しも、「一般住宅」は都内に残っていた

9/19(木) 6:01配信

アーバン ライフ メトロ

そもそも、同潤会とは?

 JR十条駅から北へ10分。環七を渡って少し入った十条仲原のエリアに、今も同潤会の団地が残っています。

【写真】懐かしい、そしてなぜか落ち着く……都内にある路地裏の風景(14枚)

「えっ!?」と思われた人もいらっしゃるでしょう。同潤会は戦前に団地を建設した草分け的な存在で、2019年現在、オリジナルのアパートはすべて解体済み。唯一表参道ヒルズの一部に、同潤館として再生されているだけです。

 では、同潤会の団地が残っているとはどういうことでしょうか。今回は今でも残る、同潤会の団地の話です。

 1923(大正12)年9月2日。関東一円を襲った未曾有の大地震「関東大震災」によって、首都圏は壊滅的な打撃を受けました。東京の被災面積は当時の40%強。罹災者170万人は、当時の東京の人口の4割強に達します。

 1日も早い復興を目指して始動したのが「帝都復興計画」です。土地の区画整理から道路や橋梁、上下水道や電気・瓦斯といったあらゆるインフラ、学校をはじめとした教育施設、食堂や職安などの厚生福祉施設など、ほぼ都市機能のすべてが復興の対象となりました。

同潤会は、あらゆる住宅の復興を手掛けた

 特に住宅に関しては、1日も早い復興が望まれたのは言うまでもありません。震災後の住宅復興でもっとも活躍したのが「同潤会」です。同潤会は全国から寄せられた救援義捐金の一部を充当して、内務大臣を会長に設立された財団法人でした。

 同潤会は、近年まで残っていた同潤会アパートで広く知られますが、鉄筋のアパートに限らず、分譲の木造戸建てやスラム街の不良住宅の改良など、あらゆる住宅の復興を手掛けた団体でした。なかでも多かったのが賃貸の木造住宅です。

 会の設立後、直ちに罹災者の住まいを確保すべく、2000戸強の仮設住宅を建設。ひととおり落ち着いた段階で、しばらく本格的な住宅造りへと移行しました。このときに建設されたのが「普通住宅」と呼ばれるものです。

大量に建設された同潤会の普通住宅

「普通住宅」は、もともと前述の仮住宅に対して「本住宅」と名付けられていました。しかし、不良住宅の改良の際に造られたものも本格的な「本住宅」だったので、その紛らわしさを解消するために、新築の賃貸木造住宅を「普通住宅」としたそうです。罹災前の「普通」の住宅での生活へ戻れるように、という思いが込められていたのかもしれません。

 普通住宅は点々と建設されたわけではなく、いくつかの地域を選定し、その区画内にまとまって2階建の木造住宅を建てる形で進められました。一般的に鉄筋のアパートが林立する場所を団地と呼びますが、木造住宅でも、計画的に建てられた家屋が密集する場所も団地と呼びます。

 都内では赤羽、十条、西荻窪、荏原、大井、砂町、松江、尾久の8か所、横浜は新山下、瀧頭、大岡町、井土ヶ谷の4か所、計12か所のエリアが選定され、宅地整備を含めて実に3500戸もの普通住宅が建てられたというから驚きです。同潤会が建設した鉄筋アパートは16棟なので、普通住宅の建設がいかに重要なポジションにあったかがうかがえます。

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最終更新:9/19(木) 12:29
アーバン ライフ メトロ

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