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30周年のアサヒビール本社 異彩を放つビルはなぜできた?

9/20(金) 8:30配信

ITmedia ビジネスオンライン

 国内外から多くの観光客が訪れる東京・浅草。その周辺から、ゆったりと流れる隅田川に目を向けると、対岸には東京スカイツリーが見える。そして、よく目立つビルが目に飛び込んでくる。ビールジョッキをイメージさせるアサヒグループ本社ビルと、巨大なオブジェが載ったホール棟だ。

【写真】現在の本社ビルの場所にあった「吾妻橋工場」(1955年当時)

 隅田川のほとり、吾妻橋の東側にそびえたつビルが完成したのは1989年11月。それから30年、ランドマークとしてたくさんの人の目を楽しませてきた。2012年には東京スカイツリーが開業。吾妻橋には、アサヒのビルとスカイツリーを一緒に写真に収めようと、カメラを構える人の姿が絶えない。

 なぜこのような建物ができたのか。その背景や位置付けについて、アサヒグループホールディングス(GHD)に聞いた。

創業100周年で迎えた「転機」

 ビールをイメージした外観のアサヒグループ本社ビル。その特徴的な色の正体は、琥珀色のハーフミラーガラスだ。だから、外から見ると金色だが、ビルの中からは普通のガラス窓のように外が見える。レストランになっている21階と22階だけは白い外装で、もこもことしたビールの泡を表している。この“巨大ジョッキ”にビールを注ぐと、「アサヒスーパードライ」の大瓶で約2億本入るという。

 ビルの高さは100メートル。なぜ100メートルなのかというと、このビルがアサヒビール(現アサヒGHD)の創業100周年を記念して建てられたものだからだ。

 ビル建設当時に時代をさかのぼると、実はこの頃は、会社を取り巻く状況が激変しつつある時期だった。大きな変化を迎える中で、あの建物は誕生したのだ。

 現在、本社ビルが建っている土地は、かつて同社の「吾妻橋工場」があった場所だ。吾妻橋工場の歴史は長く、1900年(明治33年)に土地を購入して工場を建てたことが始まりだという。1924年(大正13年)夏には、敷地の一角に数寄屋風のビアホールを建て、近隣の人たちでにぎわっていた。

 そんな吾妻橋工場も、会社の業績悪化とともに苦境に陥っていく。高度成長期を経て、激しい市場競争にさらされ、アサヒビールのシェアはどんどん低下していった。1980年代に入ると資産整理を余儀なくされ、吾妻橋工場の土地は売却対象になった。

 その苦境を救ったのが、現在に続く看板商品「アサヒスーパードライ」だ。1987年に発売したこの商品が会社を変えた。その前年に発売した「アサヒ生ビール」に続いて、“キレ”のあるすっきりとした味わいのアサヒスーパードライが大ヒット。会社を取り巻く状況は一気に変わった。

 会社の業績が回復したことによって、87年10月、売却した旧吾妻橋工場の跡地の一部を住宅・都市整備公団から買い戻すことができた。そしてその場所に、創業100周年事業として新しいビルを建設することが決まった。つまり、スーパードライがヒットしたからこそ、あのビルは誕生したのだ。

 こうして、ビールをかたどった「アサヒビール吾妻橋ビル」と、巨大なオブジェが載った「アサヒビール吾妻橋ホール」(いずれも当時の名称)が建設された。「ビール会社のシンボルとして、記念になるデザインを当時の経営陣が要望したのではないか」と担当者は話す。

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最終更新:9/20(金) 8:30
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