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他人に時間を奪われるのは、「生きながら猛獣にゆっくりと食い殺されている」ようなものだ

9/20(金) 12:08配信

新R25

「時は金なり」ということわざがあります。

「時間はお金と同じくらい貴重で大切である」という意味ですが、これに対し、堀江貴文さんは異を唱えています。

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ぼくに言わせれば、こんなバカな考え方はない。

この言葉は、時間とお金を「同等に価値があるもの」だとしているからだ。

人間にとって、何より尊いのは「時間」である。

お金など比べものにならない。
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堀江さんにとって時間は、お金より大切で、“人生でもっともかけがえのないモノ”だと言います。

そして多くの人はその時間を浪費してしまっているとも。

人生をかけて「時間の質」を上げることだけを考えてきた堀江さんが、みんなに伝えたい「時間の価値観」。

その内容をまとめた『時間革命 1秒もムダに生きるな』より3記事を抜粋してご紹介します。

きみは「自分の時間」を生きているか?

時間には2種類しかない。

「自分のための時間」と「他人のための時間」である。

「自分時間」とは、好きな仕事、趣味、やりたいこと、たのしいイベント、気の合う仲間との飲み会などである。

一方、「他人時間」とは、やらされている仕事、通勤、したくもない電話やメール、気を遣う飲み会といったところだろうか。

当然ながら「自分時間」が多ければ多いほど、あなたの人生の質は高くなる。

逆に、「他人時間」ばかりを過ごしている人が、自分の人生に満足できていることはまずない。

「自分時間を増やす+他人時間を減らす→人生の質が高くなる」

ぼくが語りたいことの核心は、このシンプルきわまりない事実にある。

これこそが時間を支配するための、たった1つの方法なのだ。

まず、あなた自身の1日を振り返ってみてほしい。目覚めて活動している時間のうち、本当の意味で「自分時間」だと言えるのは、どれくらいあるだろうか?
 
16時間? 8時間?…そんなにない? 2時間? 1時間?…ひょっとして…30分未満?

いずれにしろ、おそらくかなり少ない割合なのではないかと思う。

何よりもまず深刻なのは、ほとんどの人は、自分の人生が「他人のための時間」で埋め尽くされていると気づかずに生きているということだ。

あるいは、気づいていても、見て見ぬ振りをしているのかもしれない。

たとえばいま、あなたの部屋に凶暴そうな猛獣が入ってきて、こちらを見ながら唸り声をあげているとしよう。

あなたはきっとその状況から逃れるための方法を必死で考えるだろうし、猛獣が襲いかかってくれば全身をバタつかせて抵抗するはずだ。

死んでしまえば、自分に残された時間は、一瞬にしてすべて奪い去られてしまう。

そんなのはごめんだ。だから、頭をフル回転させて、その危機を回避しようとする。
当然のことである。

一方で、「他人時間」に対して同じような脅威を感じる人は、どういうわけかほとんどいない。

ぼくにしてみれば、他人のせいで時間が奪われている状態というのは、「生きながら猛獣にゆっくりと食い殺されている」のと同じだと言っても過言ではない。

それなのになぜ気づかない? なぜ平気でいられる? ぼくには不思議でならない。

ぼくは手元にある時間を少しでも「自分時間」として確保したいし、人の時間を奪うことに無頓着な行動に対しては、言いようのない不快感を抱く。

実際、変な人とは距離を置いて、なるべくつき合わないようにしているし、時間を奪おうとする人には声を荒らげてキレることもある。

いろんなところで語ってきたことだが、典型的なのは、「平気で電話をかけてくる人」だ。

本人は何気なく電話をかけているだけでも、ぼくからすると、いきなり人生に割り込んできて、「他人時間」をねじ込もうする行為にしか見えない。

だからぼくはよっぽどのことがないかぎり、スマホに着信があっても、電話に出ない。

これは決して非難されることではないはずだ。

猛獣が部屋に入ってきたときと同様、ぼくは自分の人生を守っているだけなのだから。

だからぼく自身も、誰かほかの人にとっての「時間泥棒」にはなりたくない。この記事だって、「堀江の言いたいことはだいたいわかった」と思えば、最後まで読む必要はない。

「時間=人生」を突き詰めて考えれば、そういうことになる。

まずは日頃から「これは自分時間? それとも、他人時間?」と習慣的に自問してみるといいだろう。そうすれば、1日のほとんどが「他人時間」で埋め尽くされていることに愕然とするはずだ。

最初はそれでいい。すべてはそこからはじまるからだ。

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最終更新:9/20(金) 12:08
新R25

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