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戦後景気で長者番付入り 株の失敗経験生かす 南俊二(下)

9/20(金) 15:40配信

THE PAGE

 戦後日本の「三大億万長者」の一人と称された南俊二。浮き沈みが激しく、事業で儲けては相場で損する前半生でしたが、第2次世界大戦の後はそれまでの軍需インフレや復興景気の波に乗って大儲け。相模鉄道の社長を経て、大阪造船所を創設するなど、実業界にも足跡を残しました。一途に金儲けに励み、稼いだ巨富を惜しげもなく新規事業につぎ込む南の事業哲学は「無から有を生じること」。指折りの金持ちになった後も、お手伝いさんもいない至って質素な生活を送っていたといいます。

朝鮮の砂金や樺太の漁業……「無から有」南の事業哲学 南俊二(中)

 市場のグローバル化やテクノロジーの進化で、先行きの見通せない現代の経済界に、伝えるべき過去の経済人の足跡を紹介する新連載「野心の経済人」。市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。

 今回は3回連載「南俊二」編の最終回です。

「儲かれば待遇向上は当然」南の経営哲学

 第2次世界大戦中の大阪造船所社長時代のことだが、工員の勤労意欲を高めるために南が打った手が新聞で報じられたことがある。太平洋戦争に突入して1年後の昭和17(1942)年、大阪造船所は広島・呉の海軍工廠(こうしょう)から派遣された工員を含めると、実に1万2000人の大所帯に膨れ上がる。

 大阪造船所は同業他社に比べて工員の待遇は一番良かった。南はいう。「うちの社員は2倍も3倍も働く。だから儲かる。それだけ待遇をよくするのは当然だ。しかし皆が働かなくなったり、不景気で仕事がなくなればドシドシ引き下げる」――。これが南の経営の基本方針であった。

 同じ年の12月のある日、南あてに4通の手紙が舞い込んだ。いずれも高利貸しから工員の給料を差し押さえるという手紙だった。工員を呼んで聞いてみると、月1割の利払いに追われていることが分かった。家族に病人がいるとか、それ相応の理由で借金したものだが、高利貸しに責め立てられていることを知ると、南の決断は早かった。自ら即座に借金を肩代わりしてしまったのである。

そして、「借金のある人は申し出てください」と社内に掲示を出したり、スピーカーで呼びかけたりすると、50~60人の申し出があった。南は後年述懐している。

「私も今まで借金したけれども、借金ほど精神の不安を生むものはない。この戦争中に、工員が借金のために苦しい思いをしていたら、増産に励むことはできません。その頃私はちょっと余裕があったから、工員の借金を払ってやろうと決心した」

 「損して得取れ」という大阪商人哲学に通じるものがある。

 この美談が新聞に掲載されると、何を勘違いしたのか、苦界に身を沈めている女たちから「私の亭主は出征している。3000円あればあなた様は私を身請けすることができるのですが……」などと、『女郎の長手紙』が飛び込むサプライズもあったとか。

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最終更新:9/20(金) 15:40
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