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野球生命のピンチを乗り越えて通算100号を達成した梶谷隆幸(開星~横浜DeNAベイスターズ)

9/21(土) 10:30配信

高校野球ドットコム

 2017年はアレックス・ラミレス監督の下、19年ぶりに日本シリーズに進出した横浜DeNAベイスターズの主軸を張る梶谷 隆幸外野手。先日の広島東洋カープ戦で通算100号ホームランのメモリアルアーチを放ち、チームの逆転勝ちに貢献した。

 開星(島根)高校から2006年・高校生ドラフト3位で入団して13年目、31歳を迎え俊足強打には円熟味を増している。では、そんな梶谷選手の高校時代にはどんな取り組みをしていたのか?当時のコーチ、現在は同校監督を務める山内 弘和さんに語って頂きました。

順風満帆の入学も、腰を痛めて野球生命のピンチに

 僕が梶谷には初めて会ったのは、彼が松江市立第二中2年の6月です。松江市では毎年、この時期に中学校の市総体があるんですけど、この大会に出場していました。最初の印象は「セーフティーバントをよくやる子だな」。ストップウォッチで実際に測ったりしていても2年生なのに足が速い子でした。

 次の年の市総体でも見て、やっぱりいい選手だと思ったので、当時まだ僕は外部コーチだったんですけど、前監督(当時の野々村 直道監督)に「こういう子がいます」という話をして、野々村監督が声をかけた流れです。

 この梶谷の年、1年生は豊作でした。現在は日本高野連のルールが変更になり、入学式を終えないと試合に出られませんけど、梶谷と最終的に3年の時に4番・サードでキャプテンになった太田 翔平。そしてキャッチャーの重政 達哉は3月末ぐらいから練習試合に出してました。ユニフォームが間に合っていないんで、その3人は白い練習着で。梶谷はそのころからやっぱり力のある子だったんで、入学してすぐの4月の中旬の大会にはもうレギュラーでした。

 ところが、1年秋に腰を痛めて、松江市の大きな病院に行ったところ「ヘルニアだ」と診断されたんです。医者には「このまま野球をやっていたらもう普通の生活すらできない。野球をやめなさい」と言われて。本人も落ち込んで帰ってきました。

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最終更新:9/21(土) 10:30
高校野球ドットコム

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