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【巨人】原監督、V決定の瞬間に号泣の真相「第1回初優勝という気持ち」

9/22(日) 6:05配信

スポーツ報知

◆DeNA2―3巨人=延長10回=(21日・横浜)

 横浜スタジアムから都内へ場所を移して行われた優勝会見。冒頭、原監督はリーグV決定の瞬間に号泣した真相を明かした。

 「過去の戦績も含め、いろいろなキャリアは自分の中でもう置いてきた。本当に原点に戻り、初心からというつもりでいるんで。第1回目の、初めての優勝という気持ちです。ですから余計に、ともに戦ってきた選手を前に、関係者、コーチを含め前にして(涙が)あふれてきた」

 原監督が優勝の要因として挙げたのは2番に坂本勇や丸などを起用して「新しいジャイアンツ」を作っていったこと。そして4番の重圧に苦しみ、それでも耐え抜いた岡本の存在だった。

 「自分の中で一番は、和真はどうしても4番打者で年間を通して(戦わせたかった)」

 18年、岡本は史上最年少で「3割・30発・100打点」を達成。打者・原辰徳としても未踏の領域に、22歳で足を踏み入れた。

 「私の中でも夢であった『3割30本100打点』を、若干22歳で達成したというのは、私の中でも尊敬に値する。しかし、フタを明けてみるとまだまだ甘いところがある。という中、切磋琢磨(せっさたくま)しながら4番打者を務めてくれたのも大きかったと思いますね」

 これには若き主砲も「僕が前半から打っていれば、もっと余裕で優勝できたと思うので…」。消えゆく語尾を「しっかりしなさい!」と突っ込むのも、原監督の親心だった。

 壇上に上がった5人の中で唯一、菅野は心から笑える心境にはなかった。複雑な思いを隠さなかった。「正直、悔しい思いもありました。今年に関しては何一つ、貢献出来てないなと思います。僕も覚悟を持って臨んだシーズンだったので。何とか優勝したいという気持ちを持って毎シーズンやってますけど、今年は特にその気持ちが強かった。いろんな思いがありました」。11勝6敗、防御率3・89の成績は腰痛で3度の登録抹消を経験。忸怩(じくじ)たる思いを、晴れの会見で吐露した。

 オフに自主トレを共にした桜井、中川が大車輪の活躍。それを問われ「僕は何もしてないですけど、彼ら(桜井、中川)が本当に頑張ってくれたんだなって思います…」と返したエースの自虐的な言葉を、原監督が愛ある言葉で遮った。

 「何もしてなくないよ。やっぱりね、ギブアップしないというね。本人の中では数字はあれ(不満)でしょうけど、でも彼は自分から『もうダメです』という言葉を一回も言わなかった。これからも当然そうでしょう。これからもまた大きな試合がありますから、そこに向けてやってくれるというふうに思います」

 指揮官の期待の言葉に、菅野の目はみるみる潤んだ。詰まらせた次の言葉を発するために13秒を要したが、必死に前を向いた。「全力を尽くして。次の戦いがあるので、そこに合わせて全力で取り組みます」。優勝会見でも、原監督のもと、チーム一丸を印象づけた。

 ◆巨人球団史 1934年、日米野球で編成された全日本メンバーを母体に、同年12月に「大日本東京野球倶楽部」として創設。翌年、ジャイアンツ(巨人)の愛称がつき「東京巨人軍」となる。47年に「東京読売巨人軍」、2002年に「読売巨人軍」となった。プロ野球公式戦がスタートした1936年秋に初優勝。65~73年に川上哲治監督のもとで9連覇の黄金期を築く。1リーグ時代の9度を含め、リーグ優勝46度、日本シリーズ優勝22度、いずれもプロ野球最多。初期の沢村栄治から長嶋茂雄、王貞治を始め、松井秀喜ら数多くの名選手を輩出。オーナーは親会社の読売新聞グループ本社・山口寿一社長が兼務。本拠地球場は東京ドーム。

最終更新:9/23(月) 22:09
スポーツ報知

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