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灯台、実は無断建設だった 借地料45年間未払い なぜこんなことが?背景に沖縄特有の事情

9/23(月) 6:04配信

琉球新報

 糸満市喜屋武にある海上保安庁の「喜屋武埼灯台」が地権者に無断で建てられ、1972年の運用開始以降、少なくとも45年間にわたって借地料が支払われていなかったことが海上保安庁などへの取材で分かった。2017年11月に敷地の測量をした際に民有地だったことが判明したが、海保は取材に「琉球政府が場所の選定や建設をしており、詳細な経緯は分からない」と説明。現在、今後の対応について地権者と協議しているという。

 灯台の敷地を所有するのは鹿児島市を拠点に観光業や交通事業を展開する「岩崎産業」。同社や敷地の登記簿によると、ゴルフ場建設のために1971年ごろから喜屋武岬一帯の土地を取得。灯台の敷地は71年に購入していた。同社は事実関係を認めた上で「海保から連絡を受けるまで所有地に灯台が建っているとは知らなかった」としている。

 海保によると2017年11月、敷地内に工作物を設置する際に測量を実施したところ、敷地が公有地ではなかったことが分かったという。その後の調査で、灯台は沖縄が日本に復帰する前年の1971年12月に当時の琉球政府が建設を始め、復帰後の72年5月に海保が引き継いだことが判明。一方で「それ以上のことは当時の文書などがないので分からない」としている。

 現在、岩崎産業とは双方の弁護士を通じて協議している。県内にはほかに88基の灯台があるが、喜屋武埼灯台と同じような敷地問題はないという。

 喜屋武埼灯台に設置された説明板によると、灯台は地上高15メートル(海面から灯火まで47メートル)、光が届く範囲が34キロという県内最初の大型灯台。戦後に現在地から約120メートル東の荒崎に、米国が「荒埼灯台」を設置したが光が弱かったため、現在の喜屋武埼灯台が新設された。


◇地籍焼失や土地接収が背景か 識者「沖縄戦影響大きい」
 糸満市の喜屋武岬にある海上保安庁の灯台が地権者に無断で建てられていた問題で、海保は取材に「沖縄が日本に復帰する前年に琉球政府が建設したもので、用地選定の経緯などは分からない」と答えた。糸満市や郷土史に詳しい専門家は灯台が民有地に建てられていた原因について、沖縄戦で地籍などが焼失したことや米軍による土地接収といった沖縄特有の事情があったのではないかと指摘する。

 「元々、沖縄の地籍は本土よりも正確だった」。そう指摘するのは地籍の研究をしている沖縄国際大の崎浜靖教授(人文地理学)。明治政府は1899年から県内の土地の所有者を特定する国家事業を行った。本土から20年以上遅れていたが、その分だけ測量技術も進歩していたため、精度が高かったという。ただ、それらは沖縄戦で焼失してしまった。

 米軍は戦後、早急に土地の所有権を明確化させようと1946~51年に「土地所有権認定事業」を実施。地番や面積、簡単な見取り図を作成し、隣接している土地の所有者2人の署名があれば申請を認めていたため不備や欠陥が多かった。

 琉球政府は57年から再調査を実施したが、この時も正確性は十分ではなかったという。糸満市教育委員会生涯学習課の大城一成文化振興係長によると、喜屋武岬など南部の沿岸部一帯は艦砲射撃で地形が変わってしまっただけでなく、草木が生い茂り土地の境界の目印がなくなってしまった。さらに米軍による土地の接収で測量ができなかったこともあり、机上で地籍を確定させるほかなかったという。

 地籍や郷土史に詳しい元糸満市立中央図書館長の金城善さんは「一つ一つはわずかな誤差でも、パズルのようにつなぎ合わせると大きな誤差になる」と指摘する。実際に、生涯学習課が保管している地籍を地図に落とし込んだ図面を確認すると、地籍の末端は海上にはみ出していた。灯台の敷地のすぐ南側は国有地で、建設当時に誤って建てた可能性もある。

 金城さんは「糸満市のような沖縄戦の激戦地では本来の土地の境界と図面上の境界が異なっていることが多い。所有者が分からない土地の問題を含めて、沖縄戦の影響は大きい」と語った。(高田佳典)

琉球新報社

最終更新:9/23(月) 15:52
琉球新報

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