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<パレスチナ>ガザ写真報告(2)危険な漁 イスラエル警備艇から毎日のように攻撃 写真4枚(古居みずえ)

9/26(木) 11:41配信

アジアプレス・ネットワーク

◆漁師を再開したムハンマド

ガザ地区ビーチ難民キャンプのムハンマドに初めて会ったのは1996年。当時彼は19 歳。パレスチナ解放機構(PLO))とイスラエルが和平を結んで、ガザ地区が暫定自治区となって間もないころだった。兄弟や、いとこと海に向かっていくムハンマドはたとえ獲れた漁が少なくても生き生きとしていた。(古居みずえ・アジアプレス)

【関連写真を見る】古居みずえのパレスチナを見つめる眼(12枚)

ムハンマドは19歳のときから父親の漁師見習いを始め、以来ずっと漁に出てきた。一時期、20代の頃はイスラエルに出稼ぎしていたが、2000年にイスラエルによる占領に対する民衆蜂起、第2次インティファーダが起こると、イスラエルで働くことはできず、漁に戻った。

◆イスラエルによる経済封鎖、漁業可能領域も制限

2006年、パレスチナ評議会選挙によって、イスラム組織ハマースが政権をにぎった。イスラエルはハマースを選んだガザの人々に集団懲罰として、ガザ封鎖を実行した。人々はガザ地区からの出入りを制限され、燃料や医薬品に至るまで、生活物資の流通が制限された。

漁業可能領域も制限、12マイル(約22キロ)から6マイルとなり、近海では魚が獲れずムハンマドたちは再び漁師をやめざるを得なかった。

その後のムハンマドは10年間、漁師もできず、他の兄弟と共にほぼ無職状態が続き、UNRWA(国連難民救済機関)の食料援助を頼るしかなかった。ガザの失業率は45%。さらに若者だけだと65%だ。ガザ地区は失業者で溢れていた。

そのムハンマドが漁に出たと聞いて私は驚いた。漁業可能領域が変わったとは聞いておらず、魚は相変わらず、獲れないはずだったからだ。

その彼が再び漁にでるようになった理由を聞いてみると、長男の結婚のためにまとまったお金が必要になったからと言う。彼にできることは、海に出て魚を獲るくらいしかなかったのだ。

漁で使う網を買うため、彼は親戚から日本円で約15,000円を借りた。現地では決して安い金額ではない。朝早くから息子や親戚とともに沖に出て、網を張る。そして翌日に網を引き、引っかかった魚を捕る。

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最終更新:10/10(木) 17:27
アジアプレス・ネットワーク

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