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野田秀樹「パンドラの鐘」 ミズヲが見た長崎の夏の記憶 【あの名作その時代シリーズ】

10/3(木) 18:00配信 有料

西日本新聞

長崎原爆資料館庭園にある「振り袖の少女像」。少女も、赤い太陽から逃れ、「水を」と手を伸ばしたのだろうか

 「あの名作その時代」は、九州を舞台とした作品、または九州人が書いた著作で、次代に残すべき100冊を選び、著者像や時代背景、今日的な意味を考えながら紹介するシリーズです。西日本新聞で「九州の100冊」(2006~08年)として連載したもので、この記事は07年8月5日付のものです。

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 「水を」「水を」「水をください」-。あの日、頭上で炸裂(さくれつ)したもう一つの赤い太陽の下で、人々は水を求めながら息絶えていった。

 二〇〇七年夏、長崎の爆心地。傍らには川が流れ、平和公園や原爆資料館には犠牲者の魂を癒やすための泉や噴水が水をたたえている。

 果たして、亡き被爆者たちはいま、安らいでいるのだろうか。果たして、あの記憶はいま、受け継がれているのだろうか。

 劇作家、演出家の野田秀樹は一九九九年の暮れ、長崎原爆を題材に、天皇の戦争責任を問うた戯曲「パンドラの鐘」を上演し、文芸誌「文學界」の二〇〇〇年一月号に戯曲を発表した。主人公は死者を葬る葬式屋「ミズヲ」である。

 〈生まれてはじめての俺の記憶は、赤い風景。見渡す限りが、夕陽で赤くただれ、そして誰かが洪水ほど涙を流した。何故かは知らない。その日、何がおこったのか。気がつけば、俺(おれ)はみなし児だった〉

 物語の序盤、ミズヲは初めての記憶を語る。自らの名前の由来は思い出せない。だが、記憶の力が、自分を突き動かしていることには気付いている。野田は、世紀末に長崎原爆を描くことで、二十世紀に対する自分なりの決着をつけようとした。突き動かしたのは、やはり野田が抗い続けてきた、自らの記憶だった。

 原爆投下から十年後の一九五五年、野田は長崎県西彼杵半島の傍らに浮かぶ崎戸島(現・西海市)に生まれた。原爆投下前日の人々を描いた小説「明日」で知られる井上光晴ゆかりの土地でもある。 本文:2,960文字 写真:1枚

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西日本新聞

最終更新:10/3(木) 18:00
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