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山田かん「記憶の固執」 ぼくは殺したのか?立ち返る夏 【あの名作その時代シリーズ】

10/7(月) 18:30配信 有料

西日本新聞

数万の爆死者のうえを人々が行き交う。その戸惑いを山田は「ほんとうに何事もここではおきなかったのかもしれない」(『記憶の固執』所収「地点通過」)と書いた=8月9日、長崎市

 「あの名作その時代」は、九州を舞台とした作品、または九州人が書いた著作で、次代に残すべき100冊を選び、著者像や時代背景、今日的な意味を考えながら紹介するシリーズです。西日本新聞で「九州の100冊」(2006~08年)として連載したもので、この記事は07年8月12日付のものです。

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 山田かんの妹シュウ子(ゆうこ)が佐世保の日野峠で自死したのは原爆から八年の冬の日だった。病室が空いていないからと毛布も掛けられず廊下に放置された二十一歳の妹への「つきせぬ痛恨」が、詩と文章を綴(つづ)る兄の基点となった。

 一九四五年八月九日。徹夜の学徒動員から帰宅した十四歳の山田は寝転んだまま新聞を手にとる。「そして、十一時二分、時針は示し、全(すべ)てが停(と)まり、全てが始まった」。爆心から二・七キロの長崎市下西山四十七番地。

 金柑(きんかん)色の閃光(せんこう)。七輪をあおいでいたシュウ子の「ニゲンバヨ」の声で我に返った山田は、妹を置き去りにして脱兎(だっと)のごとく壕(ごう)へ走る。そして兄の靴を手に追ってきたシュウ子にいう。「ダイドコロノヒケシテキタカ?」。「アッ、ワスレテキタ」。「バカッ ハヨイッテコイ バカガ ナンシヨットカ ハヨイケ」。妹は従順に踵(きびす)を返した。

 「ギリギリ胸が痛む。何故(なぜ)自分が行く勇気がでぬか。だがぼくは腰を暗い壕に据えたまま起(た)てぬ」 本文:2,789文字 写真:1枚

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西日本新聞

最終更新:10/7(月) 18:30
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