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なぜ長友佑都はこれほど長く日本代表で活躍できるのか? 飽くなき向上心の源泉を紐解く

10/8(火) 7:10配信

REAL SPORTS

日本代表・長友佑都は9月、キャップ数を119に伸ばし、岡崎慎司と並んで歴代3位タイへと浮上。2位・井原正巳の122を追い抜くのも時間の問題だ。幼いころからエリートとしての道を歩んできたわけではない男は、なぜこれほどまでに進化を続けてきたのか。そして、ベテランと呼ばれる33歳になったいまも変わらず、飽くなき向上心を持ち続けられるのか。その情熱の源泉を紐解く――。


(本記事は、9月15日に『REAL SPORTS』で掲載された記事に一部、加筆・修正を行って掲載しています)

ベテランとなり、若い選手とともにして芽生えた気持ち

南アフリカ、ブラジル、ロシアと3大会連続でFIFAワールドカップ代表に選出され、日本代表が戦った11試合すべてで先発フル出場。フィールドプレーヤーとして前人未踏の記録を打ち立てた過程で、サイドバックとして初めて国際Aマッチの出場試合数が100を超え、今月12日には33歳になった。

ベテランと呼ばれる存在になって久しい長友佑都(ガラタサライ)が、無意識のうちに拒絶反応を示す言葉がある。森保ジャパンに初めて招集された昨年10月。濃密な経験を伝える立場になったことを理解しつつも、それでも苦笑いしながら胸中に秘めた思いを明かしている。

「継承という言葉が、実は好きじゃないんですよ。継承というと何だか経験を伝えるだけで、去っていくようなイメージがあるじゃないですか。若い選手たちとともにこのチームに残っていって、新しい日本代表を創造していきたい、という気持ちが僕のなかに芽生えているんです」

船出となった昨年9月シリーズで、森保一監督はロシアワールドカップで主軸を担った選手たちをあえて選外とした。久しぶりにピッチの外から見た日本代表戦。コスタリカ代表から3ゴールを奪い、快勝した一戦で躍動した若手選手たちの一挙手一投足が長友のハートに火をつけた。

「また違った日本代表を若い選手たちが見せてくれた。試合に出始めたばかりの、若いころの僕たちのようにギラギラした何も恐れないプレーを見て、僕自身も初心というか、原点に返れた気がします」

若手の象徴が中島翔哉(当時ポルティモネンセSC、現FCポルト)、南野拓実(ザルツブルク)、そして堂安律(当時FCフローニンゲン、現PSVアイントホーフェン)で構成される2列目トリオだった。特に自身の前方となる左サイドで何度も目の当たりにした、中島のプレーに衝撃を受けた。

当時のFIFAランキングで5位につけていた南米の強豪、ウルグアイ代表と壮絶なゴールの奪い合いを展開。4-3で勝利した10月16日のキリンチャレンジカップ後には、こんな言葉を残している。

「気持ちがいいくらいにイケイケでしたね。あのレベルの選手たちを相手にして、あれだけドリブルを仕掛けられるんだ、と。テンポも速いし、オッサンはついていくのが必死でしたよ。これだけ技術があって勢いがある若手選手たちが多いと、体を張ったプレーをしなかったら『長友、さようなら』となってしまうと思って熱いプレーをしました」

最終ラインに目を移せば、センターバックで当時19歳の冨安健洋(当時シントトロイデンVV、現ボローニャ)が威風堂々としたオーラを放っていた。自らが19歳だった、明治大学体育会サッカー部に入部したころを思い出しながら、自虐的な言葉を介して冨安を賞賛したこともある。

「僕が19歳の時は、大学で太鼓を叩いていましたからね。19歳であれだけ堂々とプレーできるのは、本当にうらやましいですよ。もう嫉妬しちゃいそうですよね」

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最終更新:10/8(火) 10:12
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