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無視されてきた女性史研究の礎築く ライフワークは「女性と資料」 山口美代子さんを悼む(上)

10/9(水) 11:22配信

47NEWS

 平塚らいてう、市川房枝らが女性の政治参加の権利を求めて新婦人協会を設立したのは、ちょうど100年前の1919年11月。協会は政府への請願運動を繰り返し、3年後には政治参加を禁じた治安警察法第5条の一部改正を果たして解散した。

 市川はその後も婦人参政権運動(婦選運動)を続け、女性参政権が実現した戦後も、女性の地位向上に努めた。参議院議員に5回当選している。

 ■メモ1枚も活動の記録

 エネルギッシュな市川の運動の特質の一つは、資料を大切にしたことだ。メモ1枚も活動の記録ととらえ、戦時中も資料を東京郊外に疎開させて空襲からまもった。都合の悪い資料を隠し、あるいは廃棄して平然としている今の政府関係者とは、記録に対する姿勢が違い、敬虔とさえいえる。

 市川が87年の生涯を終えたのち、拠点にした東京の婦選会館と自宅には膨大な資料が残された。その宝の山に分け入って、整理し、検証し、保存し、誰でも見られるようにデータベース化した人がいる。9月25日に90歳で他界した山口美代子さん。この1年余、山口さんの協働者である女性たちと、山口さんに聞き取りをした。テーマは自分史と仕事について。もっと聞いておきたいことがあったが、もうかなわない。メモを頼りに墓碑銘を書かせていただく。

 山口さんは1929年生まれ。横浜の小学校を卒業したのち、裁判官の父の赴任地、朝鮮の京城に2年、元山に3年、元山公立高等女学校を卒業した。元山女子師範学校に進学した年に敗戦、ソ連軍に追われ命からがら引き揚げている。家族が離ればなれになる体験から、ひとりでも生きぬけるよう手に職をつける大切さを思ったという。

 ■記念碑的な仕事

 戦後も父の転勤で函館、旭川と移り、両市の図書館に職を得たのが図書館との出会いだった。すばらしい図書館人たちと仕事をして、その魅力を深く知り、54年に東京に戻ってから東洋大学の図書館学科に通って司書資格を取得した。

 まもなく結婚したが1年余で夫と死別。58年に国立国会図書館に就職し、91年に退職した。この間に2人の先達、丸岡秀子と市川房枝の知遇を得たことが、人生の方向を決めていく。

 71年、ドメス出版の鹿島光代が発案・企画して『日本婦人問題資料集成』の編集が始まった。女性問題資料を総合的に集めた出版物が皆無の時代に、人権・政治・労働・教育・家族制度・保健福祉・生活・思潮の8つのテーマ別に原資料を集め、この9巻(思潮は上下)に「近代日本婦人問題年表」を加えた全10巻で、市川や専門研究者らが編集・解説にあたった。81年に全巻完結した。

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最終更新:10/15(火) 20:58
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