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休職を機に会社員から直木賞作家へ 『蜜蜂と遠雷』恩田陸さん・上

10/9(水) 14:10配信

DANRO

直木賞と本屋大賞をダブル受賞した小説『蜜蜂と遠雷』が映画化され、10月4日から全国公開されました。著者の恩田陸さんは学園ものからSF、ファンタジーまでと幅広い作風で知られ、デビュー以来、四半世紀以上にわたって数多くの読者を楽しませてきました。(熊野雅恵)

映画『蜜蜂と遠雷』亜夜と塵の月夜の連弾

そんな恩田さんですが、意外にも休職を経験するまで小説を書いたことはなかったそうです。会社員、兼業作家を経て専業作家となった恩田さんに、独立するまでの経緯を聞きました。

小説家を目指したことはなかった

――マンガは幼少の頃から描いていたとのことですが、初めて小説を書いたのは社会人になってからだそうですね。やはり小説は社会人経験を積んでから書こうというお気持ちだったのでしょうか?

恩田:小さい頃から小説もマンガも分け隔てなく読んでいて、「お話し作り」という意味では差を意識したことはありませんでした。どこかで漠然と「いつかは小説家になれたらいいな」とは思っていたかもしれませんが、はっきりと「小説家になる」と目指していたわけではありません。

――就職してから小説家になりたいという気持ちが募ったのですか?

恩田:新卒で就職した保険会社の仕事があまりに激務で、体を壊して休職しました。その時に酒見賢一さんの『後宮小説』を読んで衝撃を受けたんです。私と1つしか違わないのに「こんなに早くから書いている人がいるんだ」と。そこで私も書きたい、と思ったんです。

――その時に初めて書いた小説がデビュー作『六番目の小夜子』ですね。プロットは準備していたのですか?

恩田: いえ、まったく。酒見さんの作品を『後宮小説』の他にも何作か読んだのですが、それらは純然たるファンタジーでした。そこで、「私が書くのだったら」と思って学園ものの要素もある『六番目の小夜子』を書いて、酒見さんが受賞したのと同じ賞に応募したのです。

――代表作である母校の行事を描いた『夜のピクニック』も高校が舞台となっています。

恩田:父の仕事の都合で小さい頃から転校を繰り返しており、高校は唯一、入学から卒業までいることのできた学校でした。それが嬉しかったというのもあるのかもしれないです。また、ちょっと変わったリベラルな学校でしたので、その雰囲気を作品にしたかった、というのもありますね。

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最終更新:10/9(水) 14:10
DANRO

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