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滝沢秀明がジャニー喜多川の「後継者」となった理由

10/10(木) 8:00配信

ITmedia ビジネスオンライン

――「人は大事にしたほうがいいと思います。困ったときに助けてくれるのは人ですから。(中略)自分の調子がいいときや成功したときは、つい周りのことを忘れちゃうと思うんですけどね、人って。そうなったら終わりだなって(*1)」

【画像】滝沢秀明はなぜジャニー喜多川の「後継者」となれたのか

 これは2018年に芸能活動を引退し、現在ジャニーズ Jr.の育成などを行う株式会社ジャニーズアイランドの代表取締役社長に就任した滝沢秀明が、15年にある雑誌のインタビューで語った言葉です。

 新刊『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)では、日本の芸能界を代表するジャニーズのタレントたちが、いかにして厳しい競争を勝ち抜いてきたのかを、彼らの努力や人生哲学に光をあてることで考察しています。今回は書籍の中から、ジャニー喜多川の「後継者」と見られている滝沢秀明の項を紹介していきます。

厳しい境遇を乗り越えたスーパースター

 果たして「運命」というものは存在するのでしょうか? 天が人の人生を動かすのか、それとも、人の人生を動かすのはやはり人なのか――。貧乏に苦しんだ少年が、希代のスーパースターになっていく。そして引退し、今度はスターを育てる側にまわる。その人生には「運命」というものを強く感じます。

 滝沢秀明は、ジャニーズ事務所の歴史の中でも、類を見ないスーパーエリートです。1995年、13歳で事務所に履歴書を送り、約1週間後に「ジャニーさんらしき人」から電話がかかってきてレッスンに呼ばれ、その2週間後には KinKi Kids のバックで踊ることに。さらに、半年後には『木曜の怪談~怪奇倶楽部』というドラマの主演を務めます(*2)。そのスピードは後輩の山下智久が「タッキーは特別なことが普通(*3)」と語るほど。しかし滝沢は、積極的にアイドルを志していたわけではありません。応募は自らしたものの「どこでもよかったんですよね。とにかく何かやらなきゃいけないなと思っていたら最終的にジャニーズ事務所にたどり着いた(*3)」と語ります。

 実は滝沢の家は、幼少期に父親が出ていってから、母親ひとり子ども3人となり、生活には苦労したようです。服が買えずに、冬でも同じタンクトップと短パンで学校に通い、鉛筆や消しゴムも落とし物を自分のもののフリをして拝借しなければならないほど。

 中学に入った時にはすでに、自立すること、働くことを考えていた滝沢の最初の憧れはプロレスラー。しかし、プロレス団体に問い合わせ入団条件を聞くも、身長も体重も足りないと言われて断念(*2)。他の芸能事務所にも応募をしていたといいますが、一番先に返事が来たジャニーズ事務所のオーディションを受けます(*3)。

 同じ日にオーディションを受けていた今井翼は、「目つきが人と違った」と振り返っていますから、その時点で、覚悟が出来上がっていたのかもしれません(*3)。「人生が 180 度変わった(*3)」「ジャニーズに拾われなければ今の自分は想像できない(*3)」と、謙遜する滝沢ですが、滝沢の加入とその後の奮闘によってジャニーズ Jr.の存在は激変しました。

 それまではバックダンサーが大きな役割だったのを、単独でコンサートを行い、ゴールデンを含む冠番組が3つも存在する、一大人気ユニットにまで変化したのです。そこから現在の嵐や関ジャニ∞のメンバーが輩出し、今でも「ジャニーズ Jr.黄金期」と呼ばれる時代を作り上げたのが滝沢秀明なのです。

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最終更新:10/10(木) 10:13
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