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金田正一さん逝く~ドラゴンズファンから捧げる追悼の言葉~

10/11(金) 10:11配信

CBCテレビ

それは10月最初の日曜の夜だった。訃報に接した時に、その人と中日ドラゴンズとの不思議な縁が走馬灯のように回転し始めるのを感じた。季節はもう秋なのに。
金田正一さん、享年86。日本プロ野球で歴代最多となる400勝を達成した投手である。ドラゴンズの本拠地である愛知県出身という以上に、その面影は竜党にとっても鮮やかだ。ある時はライバル球団の投手として、またある時は手強い敵将として、ドラゴンズの球団史のページに度々登場した人だった。

竜の日本一の夢を打ち砕いた金田監督

「監督・金田正一」の姿が真っ先に思い浮かんだ。
1974年(昭和49年)。その年、ドラゴンズは長嶋茂雄や王貞治ら稀代のスーパースター選手を擁する讀賣ジャイアンツの10連覇を阻止して、日本シリーズに進出した。そこに立ちはだかったのが、前年からロッテ・オリオンズを率いた金田正一監督だった。
エース村田兆治や木樽正明、そして監督の実弟である金田留広らの投手陣、切り込み隊長である弘田澄男から始まり、有藤通世や山崎裕之らが打つクリーンアップ陣を擁する打撃陣、戦力は充実していた。
宿敵ジャイアンツを破っての20年ぶりリーグ優勝で、ドラゴンズ側は選手も私たちファンも実は満足してしまっていたかもしれない。日本一は成らなかった。それでも第6戦、中日球場(現ナゴヤ球場)で、敵将・金田監督も胴上げを見せられた悔しさは45年経った今でも忘れられない。訃報と共に蘇ってきた。

竜を相手に記録を作り続けた金田投手

「投手・金田正一」にとって節目のゲームの相手もなぜかドラゴンズだった。
国鉄スワローズ(現東京ヤクルト)時代の1957年(昭和32年)8月21日に金田投手は完全試合を達成した。この時の相手はドラゴンズ。
翌年の開幕戦で、後に「ミスター・ジャイアンツ」と呼ばれる長嶋茂雄選手をデビュー4打席4三振に切って取った数年後、金田投手はそのジャイアンツに移籍した。ジャイアンツのユニホーム最初の登板となった1965年4月10日の開幕戦の相手もドラゴンズ。竜は金田投手に初登板初勝利を献上した。
さらに、“金字塔”である400勝を達成した1969年10月10日の試合、またしても相手はドラゴンズだった。ちなみに負け投手は入団1年目の星野仙一投手であり、5年後の日本シリーズでロッテ監督と中日エースという立場で相まみえるのだから、野球は面白い。
まるで「投手・金田正一」の野球人生を、生まれ故郷の球団であるドラゴンズが演出しているかのようだった。

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最終更新:10/11(金) 10:11
CBCテレビ

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