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左腕エースから高校通算30本塁打以上のプロ注目のスラッガーへ 木下元秀(敦賀気比)の努力の軌跡

10/11(金) 12:29配信

高校野球ドットコム

 敦賀気比の4番として、今夏の甲子園では12打数7安打6打点と大活躍を見せた木下 元秀。広角に打ち分ける卓越した打撃技術でチームを甲子園16強に導いた。昨夏は投手として甲子園に出場したが、左肘を痛めて昨年11月に野手転向を決断。それから1年足らずでどのようにしてプロ注目の打者へと成長を遂げている。その裏には不断の努力があった。

敦賀気比の仲間ととも仲良くピースする木下元秀

マウンドが怖かった高校2年夏

 大阪府堺市で生まれ育った木下が初めて敦賀気比の存在を知ったのは中学1年生の時。2014年夏の甲子園準決勝で大阪桐蔭との試合を見たことがきっかけだったという。当時の敦賀気比は平沼 翔太(日本ハム)が2年生エースで、岡田 耕太(JFE東日本)が4番捕手、侍ジャパン大学代表主将の篠原 涼(筑波大)がリードオフマンを務める豪華メンバーだった。

 その試合で正随 優弥(広島)や青柳 昴樹(DeNA)らを擁する大阪桐蔭と9対15の打撃戦を繰り広げた。敗れはしたが、その試合の印象が強烈に残ったという。
 「敦賀気比は全く知らないところでしたが、大阪桐蔭とあれだけの打ち合いをしたインパクトが凄かったです」

 その後、東哲平監督から勧誘されたことで、敦賀気比への進学を即決した。意気揚々と入学してきたが、「最初は思った以上にキツかったです」と入部当初を振り返る。

 強豪校の練習は厳しく、思うような結果が出ずに苦しんだ。特に坂道ダッシュなどの走り込みが堪えたようで、「死にかけていましたね」と笑う。それでも「今は来て良かったと思いますし、一回りも二回りも成長できたと思います」とそれらも全て力に変えていた。

 厳しい練習を乗り越えて、エースの座を掴んだ木下は2年夏に甲子園出場を決める。小学生の頃から憧れていた夢舞台だったが、「変な感じでしたね。あの時はマウンドが怖かったです」と聖地を楽しむことはできなかった。

 1回戦の木更津総合戦に先発し、5回まで1失点と粘りのピッチングを見せていたが、6回に捕まり6失点。この回途中でマウンドを降り、チームも1対10と大敗を喫した。甲子園の怖さを木下はこう語る。

「他の大会では相手に流れが行ってもそこまで崩れなかったんですけど、甲子園は一気に流れが変わって、自分のピッチングもできなくなりました。そういうところから怖い場所だなと思いましたね」

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最終更新:10/11(金) 12:29
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