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サーキットから公道へ ジャガーDタイプとアストン マーティンDB3S 前編

10/13(日) 7:50配信

AUTOCAR JAPAN

レースで優勝し、そのまま公道へ向かったマシン

translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

1950年代の半ば、最も美しいスポーツカーと評される傑作が何台か生まれた。工具を揃えたプライベートチームでも、名門レースに出場できた時代だ。いまでもグッドウッド・フェスティバルやミッレミリアなどでは、その名残を見ることができる。

【写真】ジャガーDタイプとアストンDB3S (37枚)

1955年にレーシングドライバーのポール・フレールは、スパ・フランコルシャン・サーキットでアストン マーティンDB3Sをドライブして優勝。2台のフェラーリ・モンツァを破り、ポールポジションからの表彰台だった。DB3Sはそのままメカニックによってサーキットの外へと自走した。

アストン マーティンはサーキットからベルギーのボードゥアン王が待つ宮殿まで向かった。「ブリュッセル・アントワープの道を走りました。DB3Sは乗員の保護装備が無く、145km/hくらいで走行するとボードゥアン王の顔が風圧で腫れてしまったんです。大丈夫か尋ねると、もっと速く走ってほしいと、サインをくれました」 とフレールは話している。

一方で、かつてジャガーのテストドライバーを務めていたノーマン・デュイス。ル・マンで優勝するとフランス各地へジャガーDタイプをドライブし、「ジャガーがやってきたぞ!」と沿道の歓声を受けることが楽しみだったという。

この公道も走れるサーキットマシンという、英国の「スポーツ・レーサー」という素晴らしさを再確認することが今回叶った。どちらのクルマも直列6気筒エンジンを搭載するが、ベースはロードカー。当時で3600ポンド(48万円)以上の値段が付いていつつ、設計思想はまるで異なる。

レシプロ戦闘機のような2台

アストン マーティンもジャガーも、より多くのクルマを販売したいという気持ちは同じ。公道モデルとして、アストン マーティンはクーペを、ジャガーはXKSSをリリースし、長年に渡って英国での最速モデルに君臨した。

スポーツ・レーサーとはいえ、かたや航空機の技術に影響を受けたジャガーDタイプと、比較的古典的なアストン マーティンDB3S。ジャガーの伝説的ドライバー、マイク・ホーソーンは、どちらをベスト・ハンドリング・スポーツカーとして評価しただろうか。

ワークスカラーのグリーンに、ノーズの先端が黄色に塗られた特徴的な配色をまとうDB3Sは、第2次大戦の戦闘機のようなオーラがある。デザイナーのフランク・フィーリーは、アストン マーティンのマシンに、アスリートのようなスタイリングを与えた。大きなエアインテークから伸びるふくよかなサイドラインが、機能美を感じさせる。

筆者にとってカリスマ的な存在のDB3Sは、丸みを帯びたレシプロ戦闘機のホーカー・ハリケーン。細身でスムーズなボディラインのジャガーDタイプは、スーパーマリン・スピットファイアのイメージだ。

DB3Sの内側にオフセットしたボラーニ社製のワイヤーホイール、ボディ幅いっぱいのフロントガラス、フロントフェンダーの内側から伸びるマフラーなど、すべてが個性的。明快でクリーンなジャガーとは対照的とさえいえる。

象徴的なのが給油キャップの位置。アストン マーティンは大きなキャップがリアエンドの中央に露出しているが、ジャガーの方は、ヘッドレストから伸びるバットレスに隠されている。

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最終更新:10/13(日) 11:11
AUTOCAR JAPAN

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