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神奈川・高校野球の歴史を作った県立相模原、佐相眞澄監督「打倒私立!」の改革とは?

10/15(火) 12:10配信

REAL SPORTS

今夏、高校野球神奈川大会準々決勝で大きな波乱が起きた。春夏合わせて5度の甲子園優勝を誇り、夏の神奈川大会で3連覇していた横浜を、ノーシードの県立相模原が破ったのだ。県内でも有数の進学校が4連覇を目指していた強豪校を相手に勝利をあげたことは、高校野球ファンの間でも大きな話題となった。

県立相模原は2015年春に関東大会に出場するなど、近年着実に力をつけている。私学のように学校をあげてのバックアップもない中で、なぜ創部史上初のベスト4入りを果たすまでに成長することができたのか? 

そこには、情熱的で理論的な「打撃の伝道師」の存在があった――。


(本記事は、8月8日に『REAL SPORTS』で掲載された記事に一部、加筆・修正を行って掲載しています)

「恩返しがしたい」と県立相模原に赴任した佐相眞澄監督

陸上部やソフトボール部と共用しているグラウンドでは、フリーバッティングを行うことはできない。部員全員がそろっての朝練習は原則として禁止。19時にはすべての生徒が完全下校となるため、放課後の練習も18時半過ぎには切り上げなければいけない。

スポーツ推薦制度もスポーツクラスもない、偏差値68を誇る県内有数の進学校で文武両道を望んでも、残念ながら受験という壁の前に涙を飲む中学生も少なくない。公立校ならではのさまざまな制約や群雄割拠する強豪私学を乗り越えて、かつては「神奈川を制する者は全国を制す」とまで畏怖された高校野球の最激戦区で、県立相模原は堂々たる足跡を残してきた。

2014年の夏に創部初のベスト8へ駒を進め、その年の秋にはベスト4へ進出。翌2015年の春には準優勝を果たして夏の大会の第1シードを勝ち取り、第100回記念大会だった昨夏は最終的には8対9と逆転サヨナラ負けを喫したものの、準々決勝で強豪・東海大相模と死闘を演じた。

迎えた今年の夏。ノーシードから2年連続3度目のベスト8へと勝ち上がった県立相模原は、準々決勝で4年連続の出場を狙っていた第1シード、名門・横浜相手に真っ向勝負を展開。終盤の2イニングで大量8点を奪い、5点のビハインドをはね返す痛快無比な逆転勝ちを収めて初のベスト4へ進出した。

夏は1951年の希望ケ丘を、春の選抜は1954年の湘南を最後に、神奈川からは県立勢の代表校が誕生していない。何度も全国の頂点に立った強豪私学勢のなかで、相模原が甲子園に最も近い「県立の雄」としての存在感を放つに至った背景は、2012年4月に保健体育教諭として赴任した佐相(さそう)眞澄監督の存在を抜きには語れない。

「私学は私たちと違って、欲しいと望む優秀な選手を取って、そのうえで鍛え上げることができる。ウチは来たいと望む選手たちが、受験という難関をかいくぐって入ってくれるチーム。そうした違いやギャップを乗り越えた指導をしなければいけないし、だからこそ私学に対して何くそという思いになる」

熱い口調で打倒・私学を唱える佐相監督は、相模原市内の公立中学3校を全国大会へ出場させ、うち2校を3位に導いた実績を持つ。2005年度から川崎北高へ赴任し、念願だった高校野球の指導者に転身しても、中学時代から貫いてきたバッティングに注力する野球を標榜し続けた。

「私学に打ち勝たなければ、神奈川県から甲子園には行けないので」

強力打線を看板とした川崎北は2007年秋にベスト4へ進出し、21世紀枠の神奈川県代表候補にも推薦された。地元で「県相(ケンソウ)」の愛称で親しまれる県立相模原へは、5歳から育ち、指導者としての第一歩を記した相模原市へ「恩返しがしたい」と希望して異動してきた。

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最終更新:10/15(火) 20:05
REAL SPORTS

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