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差別のない、面白い世界へ 追想・網野善彦さん  死後15年、アニメ「もののけ姫」にも影響

10/17(木) 11:12配信

47NEWS

 「学者が死後に振り返られないのは、当然といえば当然」。歴史学者網野善彦さんを取り上げた原稿を見た人がこういった。果たしてそれでいいのか、と思ったが、現実はその通りかもしれない、とも思った。独自の「網野史学」で1980年代に「中世史ブーム」を巻き起こし、90年代には宮崎駿監督のアニメ映画「もののけ姫」にも影響を与えた網野さんが亡くなって15年。網野さんの出身地の山梨には、少なくとも1人は、果たしてそれでいいのかと、現実を問い直す人がいる。

 その人は、50年近く山梨で民俗学を研究してきた杉本仁(すぎもと・じん)さん。元高校教師で、倫理を教えていた。「柳田国男と学校教育」「選挙の民俗誌」など著作もあり、都留文科大の非常勤講師も務めた。

 今年、山梨で網野さんの業績を振り返る動きは、杉本さんが郷土誌「甲斐」で連載している論文「宮本常一と谷川健一、そして網野善彦」以外、管見の限りない。山梨県や、出身地の笛吹市は追悼イベントをいずれも「予定していない」、網野さんが設立に大きく貢献した県立博物館も「私たちが率先して計画し、その業績を振り返る必要があるが、その予定はない。来年の開館15年で、なんらかのことができれば…」と言葉を濁す。

 杉本さんは連載第1回をこう書き出している。「山梨県の学問進展に力を傾けたのが網野善彦である。だが、死後、山梨県内で論じられることは、その営為に比して多くない」。中世史の門外漢である杉本さんがあえて網野論を書くことで、網野さんの謦咳(けいがい)に接し、薫陶を受けた人々を「挑発し、『甲斐』誌上をはじめ山梨県内でもっと網野論が活発化することを念じ、わずかばかりの民俗学の知識から網野善彦を照射」したい、と。近年の論壇で少なくなったように感じるこのような挑戦的な姿勢も、現実を問おうとするスタンスの表れだろう。

 網野さんは1928年に山梨県の錦生村(現在の笛吹市御坂町)生まれ。1歳で東京市麻布に転居し、1947年に東大に進んでいる。在学中にマルクス主義の書物や、丸山真男、石母田正ら、当時脚光を浴びていた学問を積極的に吸収した。

 卒業後は神奈川大学日本常民文化研究所に入ったが失業。不安定な生活を送った後、都立高教諭を経て、名古屋大助教、神奈川大の短期大学部教授などを務めた。自身のルーツである山梨に頻繁に足を運び、歴史研究はもとより、県史の編さん事業で中世部会長を務め、県立博物館の設立にも基本構想検討委員長として携わった。その思想は、おいで人類学者の中沢新一さんや、民俗学者の赤坂憲雄さんに受け継がれている。赤坂さんは、網野さんの訃報に接した2004年、共同通信への寄稿で、網野さんの歴史家としての「原風景」が豊かな自然が残っていた山梨であると指摘し、網野史学の根源だったと紹介している。

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最終更新:10/17(木) 11:43
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