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小さなテーブルで紡がれた広大な世界。菅原伸也評「没後50年 坂本繁二郎展」

10/17(木) 12:14配信

美術手帖

小さいとても大きい舞台

 坂本繁二郎はとかく青木繁とともに語られることが多い。松本清張『私論
青木繁と坂本繁二郎』(新潮社)や谷口治達『青木繁・坂本繁二郎』(西日本新聞社)など坂本と青木を一緒に取り上げた書籍が多く出版されている。坂本の回顧展でありながら青木の絶筆《朝日》(1910)から始まり、ほかにも青木の作品が何点もともに展示されている本展もまたそうした流れのなかに位置づけることができる(*1)。


 青木と坂本は同じ年生まれの同郷、そして高等小学校以来の親友であり、こうした傾向にはもちろん理解できる面もあるとはいえ、青木没後の坂本の画家としての歩みをたどっていくならば、青木との関わりやエピソードなしに坂本繁二郎は単独で語るに値する画家であることは明らかであろう。そのことは本展が図らずも示している。さらに、そもそも青木との比較で語ることが坂本の作品を理解するのに有効であるか疑ってみる必要もあるのではないか。


 本展を最初から順に見ていくとわかることだが、坂本の絵画に大きな変化が現れたのは、青木が亡くなってから10年後フランスに留学した際に描かれた滞欧作においてである。それらの作品では淡い色彩が用いられ、形態が単純化し色面で構成されるようになる。一例を挙げれば、滞欧作のなかで代表的なものとされる《帽子を持てる女》(1923)でも、描かれた女性はその形態が単純化され、髪、肌、洋服はそれぞれ複数の色面へと分解されている。そして、坂本がフランスで獲得した画法は滞欧作に限定されたものではなく、帰国後の作品においても形を変えつつ引き継がれていくこととなる。


 フランスから帰国した後に坂本がもっとも力を注ぎ、本展でももっとも数多く出品されているジャンルは静物画である。静物画においてこそ凝縮したかたちで坂本の絵画上の達成を見ることができる。ここでは《林檎と馬鈴薯》という同じ名を与えられた2つの作品を比較することによって、坂本が静物画においてどのようなことを成し遂げたのか見てみることにしよう。


 ちょうど本格的に坂本が静物画に取り組むようになった時期である1938年に描かれた《林檎と馬鈴薯》では、中央より少し上のところに引かれた水平線によって画面が二分割されている。この水平線は、その下に林檎と馬鈴薯が描かれているところからしておそらくテーブルのエッジを表していて、したがってそれより下の部分はテーブルの表面ということになる。水平線より上の部分は背景にある壁か何かだろう。


 それに対して、1940年の《林檎と馬鈴薯》では、前者の作品においてテーブルのエッジを示していた水平線が消えている。つまり背景の壁の部分がなくなって林檎と馬鈴薯の背後はテーブル面によってすべて覆われているのである。したがって、前者ではテーブルのエッジが画面上に描かれることで、林檎と馬鈴薯を下からを支えているのがテーブルであることが示され、それゆえテーブルと壁そしてテーブル上の静物同士の空間的配置も明確であったが、後者ではテーブルのエッジが消失してしまったため、壁も消えてテーブル面は抽象的で茫洋とした背景と化し、テーブル上の物の位置関係も不分明になってしまう。


 ここで重要なのは、画面すべてを覆うテーブル面とその上に置かれた静物を見る坂本の視線が斜め上から注がれているということである(*2)。もし水平なテーブルの上に置かれた静物を斜め上からではなく真上から見下ろしたならば、画面とテーブル面が平行となり、静物は画面から等距離に横並びに配置されることになるため、静物を下から支えるテーブルの安定した水平面が自ずと想像されるだろう。そこでも、それぞれの静物とその下にある水平なテーブルの空間的位置関係は明瞭である。さらに、もし垂直に立った壁、そしてその上に掛けられた物を真正面から見たならば、ここでも同様に物は画面から等距離に配置され、安定した垂直な平面が物の下に見出されることになるだろう。


 それに対して、斜め上から俯瞰する坂本の視線では、静物の遠近法的な描き方によって多少の空間的奥行きは示唆されるものの、画面すべてを覆う抽象的で茫洋とした背景(テーブル)のせいもあって静物同士の前後関係が不明瞭となり不意に乱されることとなる。1940年の《林檎と馬鈴薯》では、馬鈴薯と林檎が、テーブル上に遠近法的に手前から奥へと置かれているように見えるのと同時に、あたかもテーブルを真上から見たかのように画面から同じ距離にあるように見えてきたり、馬鈴薯の色面と林檎の色面がそれぞれの物の境界を超えて俄かに呼応するように感じられたりといったように、そこでは意図的に不安定な空間が坂本によって構築されているのである。それを可能にしているのが、水平なテーブル面を真上から見るのでもなく、垂直な壁を真正面から見るのでもない、画面すべてを覆う水平面を斜め上から見る視線なのである。そこではもはや静物を下から支える安定した平面は見出されない。


 静物画連作において明瞭なかたちで見られる坂本のこうした視線は、青木繁とのエピソードや青木との作品比較を通して把握することができるものでは必ずしもないだろう。坂本繁二郎は、パリそして東京からも遠く離れた八女に留まりつつ、テーブルという数十センチの小さい舞台に、物理的な大きさには還元できない広大なスケールの空間をかたちづくっていたのである。


*1──それでいてこの関係は非対称である。青木繁の回顧展が坂本繁二郎の作品から始まるというのは考えにくいだろう。実際、2011年に石橋美術館や京都国立近代美術館で開催された青木繁展では、坂本繁二郎の作品は展示されていない。

*2──1940年の《林檎と馬鈴薯》以後に描かれた本展出品の静物画はほぼすべてこのような形式、つまり画面全体を覆うテーブルの上に置かれた静物を斜め上から見るといったやり方を踏襲している。

文=菅原伸也

最終更新:10/17(木) 12:14
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