ここから本文です

今年一番の収穫。パリ左岸文化と実存主義―アニエス・ポワリエ『パリ左岸 1940-50年』(白水社)、シャルル・バルバラ『蝶を飼う男』(国書刊行会)―鹿島 茂による読書日記

10/18(金) 6:00配信

ALL REVIEWS

◆パリ左岸文化と実存主義

◇×月×日

退職後にのんびりと滞在したいと思っているのでパリ行きは控えているが、禁断症状でパリ関係書に手が伸びる。中で出色なのがアニエス・ポワリエ『パリ左岸 1940-50年』(木下哲夫訳 白水社 四八〇〇円+税)。

まず目につくのが表紙を飾るホテルの写真。見覚えのある光景だと思ったら、案の定「オテル・ラ・ルイジアーヌ」ではないか! しかもご愛用の円形部屋。古本屋街サン=ジェルマン=デ=プレのど真ん中にもかかわらず一〇〇ユーロ(円形部屋は一二〇ユーロ)という圧倒的安さ故に、夜中に出没するハツカネズミを我慢して定宿にしていたのだが、なんとこの部屋には戦時中から戦後にかけてボーヴォワールが住んでいたのだ。

本書はボーヴォワール、サルトル、カミュ、マリア・カザレス、メルロー=ポンティ、ベケット、ケストラー、シモーヌ・シニョレ、ジャン・ポーラン、ドミニック・オリー、エディット・トマ、ジュリエット・グレコ、ボリス・ヴィアンなどの肖像をモザイク状にしてからドス・パソスの『U.S.A.』の要領で再構成し、資本主義でも共産主義でもない「第三の道」を世界に示した「パリ左岸文化」をヴィヴィッドに描き出した画期的なノン・フィクションである。

大戦直前、リセ教師だったサルトルとボーヴォワールはモンパルナスのオテル・ミストラルで「共棲」し、食事はカフェで済ませて、炊事・洗濯・掃除といった家事一切に煩わされずに「考えること」「書くこと」に集中したいと願った。「サルトルとボーヴォワールはふたりの関係こそ『必然のもの』で、その他の恋は『偶然』にとどめようと言い交わしていた」。リセの女生徒たちは先生のボーヴォワールを慕ってホテルに住みつき、後にサルトルの愛人となった。「サルトルとボーヴォワールは恋人、教師にとどまらない。ふたりは生徒兼恋人たちを養いもした」

一九四〇年五月、「奇妙な戦争」が終わり、ドイツがベルギーに侵攻すると動員されていたサルトルは捕虜となるが、収容所を脱走し、パリでボーヴォワールと再会する。二人はメルロー=ポンティとともにレジスタンス集団「社会主義と自由」を結成するが、思うに任せず、昼はカフェ・ド・フロールで執筆し、夜はホテルに戻るという日常生活に復帰する。

おかげでサルトルは『存在と無』『蝿』『出口なし』、ボーヴォワールは私小説的な処女作『招かれた女』を書きあげることができたが、それは占領軍の文学検閲担当者ゲルハルト・ヘラーがフランス贔屓のインテリで、抵抗文学にも出版・上演の許可を与えたからにほかならない。

レジスタンス新聞「コンバ」の主筆を務めるカミュの『異邦人』もヘラーが感動して出版許可した作品の一つである。カミュは『異邦人』を激賞してくれたサルトルの新作『出口なし』の演出を引き受けて親しくなる。カミュは妻帯者だったが戯曲『誤解』の朗読会で『天井桟敷の人々』女優マリア・カザレスと知り合い、「出会いから数時間のうちに」愛し合う仲となる。サルトルとボーヴォワールは「またホテルを替え、セーヌ通り六十番地のオテル・ラ・ルイジアーヌに引っ越し、互いに至近距離で暮らすようになった。近隣の建物の屋根を望む円形の広い三室のひとつが急に空室となり、ボーヴォワールはそこにうまく入ることができたが、サルトルの部屋はそれより狭く、かなり殺風景で蔵書を収める書棚もない」

一方には、ヘラーのような開明派ドイツ人さえ受けつけない絶対抵抗派もいて、彼らの強い拒絶を描いたヴェルコールの『海の沈黙』がミニュイ社から地下出版される。レジスタンス派の全国作家委員会(サルトル、モーリアック、エリュアール、ポーラン、レーモン・クノー)は作家で司書のエディット・トマ(後に『O嬢の物語』のポーリーヌ・レアージュことドミニック・オリーのレズビアン相手となる)のアパルトマンで毎週会合を開く。レジスタンスは拡大し、一九四四年八月、ついにパリ解放の日を迎える。

だが対独協力派の粛清が終わると、ド・ゴール派と共産党の対立が顕在化し、実存主義の新雑誌「レ・タン・モデルヌ」を創刊したサルトルとボーヴォワールは第三の道を志向せざるを得ない。

しかし、そうした政治的選択以上に解放後の若者達を熱狂させたのは「実存主義」の新しい生き方だった。「サルトルの哲学はジャズ、三文小説を含むアメリカ文学、たいがい見下される多種多様な大衆文化、性の実験、芸術の革新を通じて表現される新しい近代的な自由を提示した。これが若者たちの心を強く惹きつけた」

労働よりも「飢える自由」を選び、家族の束縛を嫌悪し、国家よりも個人を優先する生き方、ようするに「労働、家族、国家」というヴィシー政権の標語の真逆を行く現代的なライフスタイルの先駆が共感を呼んだのだ。

サルトルは「実存主義はヒューマニズムか」という演題で講演したが、その会場には「背が飛び抜けて高くせぎす、顔色の蒼白い金髪の青年が肥った中年の婦人と髪をポニーテールにまとめ黒いタートルネックのセーターを着た女学生に挟まれて窮屈そうに立っていた。青年の名はボリス・ヴィアン、二十五歳の青年はその後まもなく処女小説『うたかたの日々』にこの記念すべき宵の模様を描き、後世に伝えることになる」

ヴィアンは左岸にジャズを導入し、左岸文化の紹介者となる。飢えに苦しんでいた黒衣の娘ジュリエット・グレコは地下のバー「ル・タブー」のスターとなり、サルトル作詞・ジョゼフ・コズマ作曲のシャンソンで歌手デビューする。かくて無軌道な世代が「実存主義者」と呼ばれるようになり、実存主義は世界に拡散してゆく。

こうした雰囲気の中でボーヴォワールは「知的意欲、経済的自立、性的自由の三位一体による新たな渇望の的を示し」、『黄金の腕』の作者ネルソン・オルグレンの恋人となるが、やがて、女そのものが社会によって限界づけられた存在であると気づき、『第二の性』の執筆を決意する。以上はアントニー・ビーヴァー『パリ解放 1944―49』などでも部分的に紹介されているエピソードだが、後半に展開されるリチャード・ライト、ノーマン・メイラー、ジェイムズ・ボールドウィン、ソール・ベローなど戦後派アメリカ作家のパリ体験をきっかけとした「自己発見の旅」はあらためて「パリ左岸文化」の影響の大きさを教えてくれる。今年一番の収穫と言っていい。



◇×月×日

カフェや安ホテルから生まれた「パリ左岸文化」の源流を辿ると一八四八年の二月革命を体験したボードレールやミュルジェールらの「ラ・ボエーム」世代に行き着くが、彼らの中で一番知られていなかったシャルル・バルバラの『赤い橋の殺人』に続く翻訳第二弾『蝶を飼う男 シャルル・バルバラ幻想作品集』(亀谷乃里訳 国書刊行会 二七〇〇円+税)が出た。

パリのアパルトマンで世界中の蝶を飼う変人を描いた表題作のほか、星一徹のような父親に英才教育されながら凡庸な才能ゆえに本物の天才に出会ってショックのあまり落魄するヴァイオリニストの悲喜劇『ある名演奏家の生涯の素描』、リラダンの『未来のイヴ』に先駆するアンドロイド小説『ウィティントン少佐』など、バルザックとヴェルヌを結ぶ線上に位置する究極のマイナー・ポエットの作品はまさに「飢え」を代価として得られた「自由」という元祖「パリ左岸文化」だったようである。

フランスでバルバラを発掘し、評価の光を当てた訳者によるロマン派文学史の空白を埋める貴重な仕事である。

[書き手] 鹿島 茂
フランス文学者。明治大学教授。専門は19世紀フランス文学。
1949年、横浜市生まれ。1973年東京大学仏文科卒業。1978年同大学大学院人文科学研究科博士課程単位習得満期退学。現在明治大学国際日本学部教授。
『職業別パリ風俗』で読売文学賞評論・伝記賞を受賞するなど数多くの受賞歴がある。膨大な古書コレクションを有し、東京都港区に書斎スタジオ「NOEMA images STUDIO」を開設。新刊に『日本が生んだ偉大なる経営イノベーター 小林一三』(中央公論新社)、『フランス史』(講談社)などがある。
Twitter:@_kashimashigeru

週刊文春 2019年10月17日号掲載

鹿島 茂

最終更新:10/18(金) 6:00
ALL REVIEWS

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事