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鈴木みのるは獣神ライガーを葬ったのか? どうなる”平成プロレス総決算“…金曜8時のプロレスコラム

10/18(金) 8:03配信

スポーツ報知

 14日に東京・両国国技館で行われた獣神サンダー・ライガーと鈴木みのる(51)の一騎打ちを見た。メインイベントは、オカダ・カズチカ(31)とSANADA(31)のIWGPヘビー級選手権で、ライガーVS鈴木は、全9試合のうちの4試合目だったが、この試合だけのために、国技館を訪れた。

【写真】鈴木みのる、病床の盟友・高山善廣と2ショット

 来年1月4、5日の東京ドーム2連戦で引退する獣神サンダー・ライガーと、鈴木みのるのスペシャルシングルマッチを、”平成プロレスの総決算”と位置づけたいと思ったからだ。鈴木はゴッチ式パイルドライバーでライガーに勝利し、こう言った。「俺とあいつの17年、いや32年の男のけじめ」。両雄の17年と32年が何だったのかを振り返ってみる。

 鈴木みのるは32年前の昭和62年(1987年)に新日本プロレスに入門した。そこでライガーの前世(正体)と遭遇している。翌昭和63年(1988年)にデビューし、平成元年(1989年)3月15日(愛知県体育館)に前座試合でアントニオ猪木と対戦するチャンスに恵まれ話題になった。

 獣神ライガー(後にサンダーにグレードアップ)は、初のドームプロレスとなった平成元年4月24日の新日本プロレス初の東京ドーム大会「格闘衛星☆闘強導夢」でデビューした(小林邦昭に勝利)。鈴木は、このドーム大会を前に、師匠・藤原喜明について新生UWFに移籍。同年11月29日のUWF東京ドーム大会(U-COSMOS)に出場し、モーリス・スミスにKO負けしたものの名前を売った。

 以降、総合格闘技の渦に飲まれていった平成プロレスにあって、両雄は総合に対応する実力を磨きながら、プロレスを進化させ、「KING OF SPORTS」(プロレスこそ最強の格闘技)を守ってきた。

 鈴木は、プロフェッショナルレスリング「藤原組」を経て、平成5年(1993年)に、同学年の船木誠勝とハイブリッドレスリング「パンクラス」を旗揚げ。長くは続かなかったが、メインイベントが1分以内で終わるという前代未聞の”秒殺のプロレス”を提起した。ライガーは、IWGPジュニアヘビー級王者として空中戦を展開しながらも、平成2年(1990年)に誠心会館の青柳政司館長と異種格闘技戦を行い流血レフェリーストップ勝ちしたり、平成6年(1994年)には、修斗を主宰していた佐山サトル氏と福岡ドームでエキシビションマッチを行うなど、プロレスラーの強さと凄みを追究してきた。

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最終更新:10/18(金) 8:03
スポーツ報知

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