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あの6輪のF1が11月の鈴鹿を走る!|あらためて知るティレルP34の価値

10/19(土) 18:07配信

octane.jp

60年代から70年代のF1を眺めていると、人間臭さを感じるのはなぜだろう。デザイナーの設計思想やチームのレースに対する考え方が形となってはっきりと表われているからではないだろうか。特に70年代のF1はその傾向が強い。いつの時代もそうだが、自前のエンジンを用意できるのはメーカー直結のワークス系チームだけ。それ以外のチームは汎用のフォードDFVを使うというのが当時のF1界であった。DFVユーザーのコンストラクターは、他より優れたシャシーを作ってライバルに差を付けるしか生きる術はなかったのである。チーム首脳は膝をつき合わせては網の目のように張り巡らされた車両レギュレーションの“ほつれ”をみつけ、そこから新しいアイデアの芽を育てた。その芽から成長したマシンはどれも個性豊か。なかでもロータスからは切れ味鋭いニューマシンが次々と花開いていった。だが、ロータスと同じくらい、いやそれ以上に周囲を驚かせた異端児がいた。1975年秋に発表されたティレルP34である。

あの6輪のF1が11月の鈴鹿を走る!|あらためて知るティレルP34の価値(写真4点)

果たしてモノになるのか
自動車といえば4輪が当たり前。先進的設計が注ぎ込まれるF1でもそれは同じ。だが、ティレルは破天荒なことをやってのけた。1975年秋、ロンドンの発表会場でニューマシンのベールが剥がされるとそこには6つの車輪が付いていたのだ。居合わせた報道陣は一斉に驚きの声を上げた。と同時に会場は懐疑的な雰囲気に包まれた。ちゃんと走るのか、単なる打ち上げ花火ではないのか。じつはティレルにしてもこのマシンで翌シーズンを戦える自信はその時まだなかった。ティレルがそれまで送り出してきたマシンはどれも001から始まる3桁の数字で呼ばれたのに対し、この日発表した6輪車には開発コードナンバーがそのまま付けられていた。P34──設計者デレック・ガードナーが手がけた34番目のプロジェクトを意味することからもわかるように、実験的な段階からまだ抜け出せていないマシンだったのである。

コペルニクス的発想から生まれた6輪のF1
P34の開発にあたって最も高い目標としたのが空気抵抗の低減。いや、空気抵抗を減らすというよりはフロント回りの気流をスムーズに後方に流すといったほうが正しいかもしれない。前述のように当時のF1はエンジンパワーがほぼ均一だったから空気による影響の大小は大きく結果を左右する。ティレルは003でカマボコ型ノーズの通称スポーツカーノーズをいち早く装着してよい結果を得てきた。車の挙動をマイルドにするとともにスポーツカーノーズにはウィングに比べてフロントタイヤの多くの部分を直接走行風に当たらせない効果を持っていた。つまり前輪の空気抵抗は少なめ、ということだ。だが、“少なめ”ではボスのケン・ティレルとエンジニアのデレック・ガードナーは満足しなかった。彼らはスポーツカーノーズでタイヤのほとんどを覆ってしまいたかった。

そこで考案されたのが小径タイヤと狭いトレッドの採用だった。ハイトの低いタイヤをノーズ幅の中に収めることができればフロントタイヤによる空気の乱れは極力抑えられる。ナロートレッドと小径タイヤを採用することによるマイナス要素は、接地面積の低下によるグリップ不足だが、これを補うためにフロントタイヤを4輪にしてしまおうと思いついた。小径でも4輪あれば通常サイズの2輪並みのグリップ力が得られるし、ふんばりの利かないナロートレッドの弊害も抑えられるという読みである。制動力のアップも期待できた。なにせリアも含めた6輪すべてにブレーキが装着できるのだから期待も多かろうというものだ。残るはタイヤの問題。それまで存在しなかったF1用10インチ・タイヤをどこからみつけてくるか。それにはグッドイヤーが提供を名乗り出た。彼らの全面的協力がなかったら6輪車F1は実現しなかったといって過言ではない。

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最終更新:10/19(土) 18:07
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