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映画『楽園』原作者・吉田修一と瀬々敬久監督が犯罪を描く理由「人は善人じゃないと知ることで寛容になれる」

10/19(土) 10:05配信

ハフポスト日本版

綾野剛、杉咲花、佐藤浩市らが出演する映画『楽園』が10月18日より公開される。

本作は、『悪人』や『怒り』などで知られる吉田修一氏の短編小説集『犯罪小説集』(KADOKAWA)の中の2篇、「青田Y字路」と「万屋善次郎」をアレンジし、一本の物語に再構成して映画化したものだ。

日本の限界集落に近い地方を舞台に、2つの事件を巡り、移民との共生、老々介護、限界集落など、現代社会の抱える諸問題を背景にしつつ、人々の思いが交錯する様を重厚なタッチで描いている。

青田の広がる地方都市、とあるY字路で一人の少女がこつ然と姿を消す。Y字路で別れる直前まで一緒だった紡(杉咲花)は、罪悪感を抱えながら生きることになる。事件は未解決のまま12年が過ぎ、再び同じ場所で少女の失踪事件が起きると、人々は東南アジアからやってきた親子に疑惑の目を向け始める。

そのY字路の先には村民のほとんどが高齢者という限界集落がある。妻を亡くして村に戻ってきた善次郎(佐藤浩市)は、養蜂による村おこしを提案するが、予算問題で話がこじれ、村人から拒絶され、孤立を深めてしまう。その後、想像を絶する事件が起きる。

監督は『菊とギロチン』や『64(ロクヨン)』で知られる瀬々敬久(ぜぜ・たかひさ)氏。吉田氏と瀬々監督はともに犯罪を題材にした作品をよく制作しているが、なぜ2人は地方を舞台に犯罪を描き、事件の加害者にも目を向けるのか。吉田氏と瀬々監督に話を聞いた。

忘れられた場所で忘れられた人々が生きる物語

本作の原作『犯罪小説集』は日本社会にある問題が数多く内包されているが、吉田氏はそれを大きく意識しているわけではないと言う。

吉田「いつも社会問題ありきで書いてはいません。小説を書く時は常に人間を書きたいと思ってやっています。気になる人、気になる事件について調べて書いていくと、結果的に社会問題にぶつかるんです」

人間誰しも生きていれば、社会問題と無関係であるはずがない。人間をしっかりと見つめるからこそ、その物語の背景には社会の抱える問題が当然のように入り込んでくる。瀬々監督も吉田氏の作品の魅力を「読者の地続きにいる人物として描く目線が的確で、現代の日本に生きる人々の世界をしっかりと掴んでいる」(プレスシートより)と評する。

そのような姿勢で書かれた5つの物語から、瀬々監督は映画化にあたり「青田Y字路」と「万屋善次郎」の2本を選んだ(企画段階では「曼珠姫午睡(まんじゅひめのごすい)」をあわせた3本を取り上げる案もあったそうだ)。ともに地方を舞台にした物語だが、この2本を選んだ理由について瀬々監督は以下のように語る。

瀬々「この2つの物語は寂しげな佇まいをしていると思ったんです。忘れられた場所が舞台になっていると言いますか、そこで忘れられた人たちが生きている。でも、本当は日本の大半はそういう場所であって、都市部の面積なんて日本のわずかなものでしかないわけです。そういう意味では、こういう忘れられた人たちこそ、日本の大部分の人々なんだと思うんです」

メディアの本社はたいてい東京に集中している。それゆえ、地方の情報も「東京の視点からみた地方」になりがちで、それは事件報道でも同様だろう。しかし、東京が日本の全てでもなければ、標準でもない。吉田氏も瀬々監督の意見に同意する。

吉田「僕は意図的に地方の視点から見つめようという意識はありませんが、東京がスタンダードじゃない、むしろ特殊な場所なんだと思っていて、いつもそれを前提に小説を書いています」

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最終更新:10/19(土) 10:05
ハフポスト日本版

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