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日本のW杯初トライ助っ人・ノフォムリ氏、流れるような展開は「平尾さんの理想そのもの」

10/21(月) 7:47配信

スポーツ報知

 日本の準々決勝敗退を受け、豪州・ニュージーランド共催となった1987年の第1回大会で日本のW杯初トライを挙げたトンガ出身のノフォムリ・タウモエフォラウ氏(63)が、選手にねぎらいの言葉を贈った。今大会では15人を数えた外国出身選手のパイオニアとなったノフォムリ氏は、敗戦に悔しさをにじませながらも「外国選手だけでなく、日本人自体のレベル向上も表現できた、素晴らしい大会だった」と明るさを失わなかった。

 「正直、勝てる可能性はあると思っていた。簡単じゃないね」。今は埼工大ラグビー部のシニアアドバイザーを務めるノフォムリ氏は、やや落胆しながら振り返った。「外国出身選手と日本人も同じ気持ちで戦った、というのをすごく感じたね」と指摘。「外国人のおかげだとかよく言われるけど、日本人自体のレベルも上がっている。これからもっと強くなると思いますよ」と輝かしい未来を保証した。

 胸に去来するのは、第1回W杯で共にプレーし、20日に命日を迎えた平尾誠二さん(享年53)の姿。87年大会初戦の米国戦では、スタンドオフの平尾さんを起点としたパスを受け、右隅へ日本のラグビー史に刻まれる初トライを決めた。「今日は負けたけど、今の代表は彼がやっていたプレーそのもの」と振り返る。

 流れるような展開は今に通じるものだった。「僕はパワー系で守備に特長があった。もっとスピードあるウィングがいれば、平尾さんの理想にもう少し近づけたはず」。現代表の福岡・松島の両選手は「まさに彼が欲していたウィング」という。

 日本代表に呼ばれたのは85年。以降数年にわたって、主力ウィングとして活躍した。元々トンガ代表として15キャップを持っていた名選手。プライドを持って挑んだ代表合宿で一番驚いたのは、平尾さんの超絶技巧だった。「世界レベルのハンドリング。スピードと賢さも印象に残ってます」

 当時からBKは世界にもある程度通用したが「足りなかったのはFWだった」。この日の試合は、先発FWは8人中5人が外国出身選手。「平尾さんの理念に加えて、外国人を中心としたFWの力をプラスしたのが今の姿」。ヴァル・アサエリ愛(30)は、自身がトンガから連れてきた選手だ。

 ノフォムリ氏は80年、ホポイ・タイオネ氏とともに国王肝いりの「そろばん留学生」第1号として来日。受け入れ先の大東大の希望でラグビーができる人物として選ばれ、卒業後は三洋電機でプレーした。初めて代表に選ばれたときは、外国人選手は一人もいなかった。「(日本人)選手との壁、当初はちょっとあったね」。一部選手から無視されたり、練習時には悪質なタックルも受けたりもした。「でも、戦力と認められれば、変なこともなくなると思った」。ひたむきさで、まずは監督・スタッフの信頼を獲得。いつしか全ての仲間に愛されるようになった。

 当時の姿勢は、今大会、外国出身選手も日本人も関係ない「ワンチーム」、ジャパン愛につながっている。「平尾さんの戦い方にも外国人選手にも、歴史的積み重ねがあった。全てがうまく合わさって強くなった」。第1回大会から32年、今大会の躍進は、コツコツと築き上げてきたジャパンウェーの結果。「今は選手にただお疲れさまと言いたいですね」とねぎらいの言葉をかけた。

(樋口 智城)

 ■「そろばん留学生」第1号として来日

 ◆ノフォムリ・タウモエフォラウ 1956年6月12日、トンガ生まれ。63歳。80年4月、トンガ王国のそろばん留学生第1号として来日し、大東大に入学。85年に三洋電機(現パナソニック)入社し、同年に日本代表入り。87年に第1回W杯の米国戦で2トライ、イングランド戦で1トライを挙げた。93年引退後は社業に専念し、05年から埼玉工大職員としてラグビー部監督就任。元日本代表のホラニ龍コリニアシは甥。

最終更新:10/21(月) 9:23
スポーツ報知

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