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“自己犠牲の男”田中史朗の妻・智美さん独占手記「頑張ったね」

10/21(月) 7:04配信

スポーツ報知

◆ラグビーW杯 準々決勝 日本3―26南アフリカ(20日・東京スタジアム)

 BK陣の最年長で、3大会連続代表のSH田中史朗は、今大会は控えに徹してきた。2011年大会の惨敗から15年大会の歴史的3勝を経てラグビー人生の悲願を達成。我欲を捨て自己犠牲の精神にあふれた男の4年間を、妻の智美さん(30)がスポーツ報知に独占手記を寄せた。

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 涙が止まりません。主人には「ありがとうございます。頑張ったね」と言ってあげたいです。

 W杯みたいな大きな大会の前には「俺が死んだら、いい人見つけてな」と言って家を出て行きます。最初に言われたのは12年のスーパーラグビー挑戦の時でした。「レベルもパワーも違う。死ぬかもしれない。もし万が一そういうことがあったら、いい人見つけてな」と。その時は泣きました。私も強くならないといけないと思い、15年W杯に出発する前日には「命をかけてラグビーをするのは理解できるから、悔いなく戦ってきてね」と伝えました。

 15年W杯が終わった後は、達成感が大きくて完全燃焼に近いメンタルになりました【注】。日本代表に3度目の挑戦をしたきっかけは、W杯中にジェイミー(ジョセフHC)から「またハイランダーズでやらないか」と言われたことです。オールブラックスの選手とプレーしていくうちに「もうちょっと頑張ろうかな」という気持ちになりました。子供たちのために、海外の世界を見せたいという思いもありました。ジェイミーは私たち家族にいろんな機会を与えてくれた人。主人を救ってくれて、すごく感謝してます。

 主人は4歳年上の34歳で私が30歳。結婚する前、私はオグシオ(小椋久美子、潮田玲子)さんたちと三洋電機でバドミントンをしていました。同期入社で同じ会社。私が22歳、主人が26で結婚しました。お付き合いした時、主人はすでに日本代表でした。プロポーズはすごく情熱的でしたよ。私の旧姓が作山で「さくちゃん」と呼ばれていた。コリさん(ホラニ龍コリニアシ)の義理のお母さんの家でパーティーに誘われた時、大勢の人の前で突然、プロポーズされました。「さくちゃん」なので39本の赤いバラを持って。結婚しようねって流れの時にトライされました(笑い)。

 彼は本をよく読みます。「信は力なり」「人生は一度きり」という言葉が好きで、常々「日本ラグビーのために」って口にしています。南ア戦(9月6日、W杯壮行試合)の前日に「(SHの)後輩2人(茂野、流)を連れてウナギごちそうしてくるわ。教えられることは教えたい」と。昔からそういう人なんです。私だったら「自分が出たい」と強く思っちゃうのに。そう思わないんですよね。人間ができているんです。

 長年、お世話になったパナソニックさんを離れ、キヤノンさんにチームを変えました。出場機会が減ったことと、キヤノンさんから「文化」を作ってくれと言われて。私は「自分のラグビー人生だし、自分の悔いのないようにやるのが一番だよ」って応援しました。W杯が終わってみないと先のことは分かりません。34歳、全力を尽くしてやってくれると思います。

 【注】12年10月にスーパーラグビーのハイランダーズに入団し日本人初の快挙に。14年に日本人3人目となるバーバリアンズのメンバーに選出。15年にジョセフ氏率いるハイランダーズが優勝し日本人選手初の栄冠。同8月のW杯で2大会連続代表入りし、先発SHとして南アフリカを相手に金星を挙げた。

 【田中家】長女・愛真(えま)ちゃん(5)、長男・真生(まお)くん(3)の4人家族。智美夫人はバドミントン女子シングルスで05年全国高校総体3位、岡山国体で準優勝。社会人選手権16強。現在はミズノのバドミントンアドバイザーとして普及活動も。夫のためにアスリートフードマイスターの資格を取得し、現役時代の経験を生かしてストレッチも施す。

最終更新:10/21(月) 8:28
スポーツ報知

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