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平尾誠二さんの取り組みが「日本ラグビー支えた」 盟友が語る命日の準々決勝

10/21(月) 23:43配信

デイリースポーツ

 「ラグビーW杯・準々決勝、日本3-26南アフリカ」(20日、味の素スタジアム)

 20日は2016年に胆管細胞がんにより53歳で亡くなった「ミスターラグビー」平尾誠二さんの命日だった。平尾さんが生きていたら、どんな思いでこの一戦を見つめたか。親交が厚かった日本ラグビー協会理事の土田雅人氏(56)、同技術委員会委員長の中山光行氏(53)、元日本代表で京産大ラグビー部コーチの伊藤鐘史氏(38)に、故人に寄せる思いを聞いた。=その2=

【写真】南ア戦は15人全員が痛みを抱えていた

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 神戸製鋼でともにプレーし、引退後は分析を担当するテクニカルスタッフとして日本代表でも平尾さんを支えた中山光行氏は、今大会の成功を願っていた生前の姿を思い返す。

 「リオで(7人制)ラグビーが正式種目になって、19年にW杯が日本での開催になって、20年のオリンピックに出場できる。自国開催で世界大会が続く。ラグビーに関わる日本にとっても、千載一遇のチャンスや」

 熱っぽくこう語っていたという。

 すぐそばで、常にラグビー界の将来を考え、行動する平尾さんに触れてきた。代表監督時代には情報分析をいち早く取り入れていた神戸製鋼のノウハウを「日本のラグビーのためだ」とライバルチームの選手に惜しみなく伝えた。「平尾さんがされてきたゲーム分析やフィットネスといった取り組みが日本ラグビーを支えてきた、というのはありますよね」と中山氏。大会招致にも尽力した平尾さんの「関わっているみんなのチームワークが試される」という言葉は、ジョセフジャパンが掲げる「ONE TEAM」とも重なり合う。

 「平尾さんって、人が感じている見方よりも先にいっている方。生きておられたら4年後、8年後を見据えて、南アフリカ戦をご覧になったんじゃないかと。結果よりも内容を重視して…」

 09年から9年間、神戸製鋼でプレーした伊藤鐘史氏はこう思いをはせた。

 よく相談に乗ってもらったが、「悩みを聞いてくれるんですけど、答えは教えてくれないんです。『悩んでいる状況がええんや。他人が教える答えでいっとき強くなっても長続きせえへん。おまえらが悩んで答えを出した方が絶対ええ』と」。考え抜いた末にたどり着いた答えにこそ意味がある。W杯で優勝を争う常連国となるためには何が必要か-。平尾さんならそんな視点で南アフリカ戦を見つめただろう、と想像する。

 日本ラグビー史上、初めて足を踏み入れたW杯の準々決勝という大舞台。そんな日に、みんなが「ミスターラグビー」平尾誠二を思い起こす。これはきっと「必然」なのだろう。

 ◆平尾誠二さん 1963年1月21日、京都市出身。京都市立伏見工業高(現京都工学院高)3年時、全国高校大会での初優勝に貢献。同志社大では大学選手権3連覇、神戸製鋼では日本選手権7連覇。19歳で日本代表入りし、W杯は87年の第1回大会から3大会連続出場。34歳で日本代表監督に就任し、99年の第4回大会を指揮した。

最終更新:10/22(火) 0:06
デイリースポーツ

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