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【フォトギャラリー】記憶に残るF1特別カラーリング10選~後編~

10/22(火) 19:11配信

motorsport.com 日本版

リジェJS39(1993年日本GP、オーストラリアGP)

 リジェは1993年のシーズン終盤2戦、メインスポンサーであるジタン・ブロンドたばこのパッケージデザインをベースにした“アートカラー”をマーティン・ブランドルのマシンに施した。この年のリジェは表彰台を獲得するなど戦闘力が高く、低迷期に入っていたフェラーリに肉薄するパフォーマンスを見せた。

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レッドブルRB1(2005年モナコGP)

 レッドブルはチーム発足初年度のモナコGPで、当時のスター・ウォーズシリーズ最新作『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』のプロモーション用カラーリングを採用した。華やかなモナコの街に映えるマシンだったが、ポイントを獲得することはできなかった。

フェラーリF2001(2001年イタリアGP)

 2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロの1週間後に開催されたイタリアGP。フェラーリは犠牲者に哀悼の意を表して、スポンサーロゴを取り払い、ノーズ部分を黒く塗ったマシンでレースを戦った。F1チームやドライバーが故人をしのんで、特別なマシンやヘルメットでレースに臨むのは珍しいことではないが、スポンサーロゴを全て削除するのは極めて異例と言える。

フェラーリ158(1964年アメリカGP、メキシコGP)

 フェラーリはこの年、スポーツカーレースで使用するマシンの承認を巡ってFIAと対立。憤慨したエンツォ・フェラーリは競技ライセンスをACI(イタリア自動車クラブ)に返還してしまった。これにより、北米での終盤2レースでチームは『スクーデリア・フェラーリ』としてエントリーすることができず、『NART(ノース・アメリカン・レーシング・チーム)』の名義で参戦することとなった。これにより、マシンのカラーリングはイタリアのナショナルカラーである赤ではなく、アメリカのナショナルカラーである青と白になったのだ。なお、この青と白のフェラーリを駆ったジョン・サーティースは同年のワールドチャンピオンを手中に収めた。

コローニC4(1991年日本GP、オーストラリアGP)

服部尚貴は1991年、弱小チームであるコローニから日本GPとオーストラリアGPにエントリー。個人スポンサーを一口2万円で募り、その出資者の名前がサイドポンツーンに刻まれた。なお、結果は2レースともに予備予選落ちだった。

最終更新:10/22(火) 19:11
motorsport.com 日本版

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