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「寺と墓ばかり」と呼ばれた台東区・谷中が、年間300万人の集客エリアに大化けした理由

10/22(火) 8:32配信

アーバン ライフ メトロ

東京なのになぜ古い家屋が残っているのか?

 谷中銀座商店街はテレビに多く取り上げられ、人気の観光地です。2016年には谷中地区でインバウンド(訪日外国人)を含めた集客が300万人を超え、話題となりました。

【画像】一瞬で昭和にタイムスリップ。古き良き谷中のレトロスポットの数々(15枚)

 谷中の魅力は熱々の揚げたてコロッケを食べ歩きするだけではなく、路地を散策するとレトロなまち並みや歴史文化、古民家を改装したモダンな店に出会えること。まるでタイムスリップしたような印象を受けます。しかし、ここまでの道のりには数々のストーリーがありました。

 谷中は東京23区のほぼ中心となる台東区にあり、荒川区と文京区の区境に位置します。東に山手線「日暮里駅」、北は「西日暮里駅」、西は千代田線「根津駅」「千駄木駅」、南は上野公園に囲まれており、いずれからも1km以内の徒歩圏です。近くには学芸の頂点を極める「東京大学」「東京藝術大学」があり、「谷中霊園」には江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜も眠っています。

 江戸時代の谷中は寺町で墓参を兼ねた行楽の地として栄え、町屋が立ち並び、独特の風情あるまち並みがつくられました。また江戸幕府が台地上の谷地を利用し、狭道をくねらせ、階段や行き止まりを多くし、敵の進入を防ぐまちづくりとしたため、明治・大正期に商工業者が移住してきました。しかし開発に不向きな地形だったことから、町の原型がそのまま残されてきたのです。

 関東大震災や空襲を免れたことも幸いし、江戸から明治・大正、昭和の建物やまち並みが今も多く残り、谷中は東京でも特別な存在となりました。とはいっても、レトロなまち並みを残していくのはそう簡単なことでありません。

女性3人でつくった雑誌『谷根千』が谷中を救った

 今から50年前にさかのぼりますが、1969(昭和44)年に地下鉄千代田線が開通すると人の流れが一気に変わり、駅近くの商店街から急激にお客が減ってしまいました。谷中は寺と墓ばかりの「時代遅れのまち」として賑わいを失っていった時期があったのです。

 そんななか、地元愛にあふれる主婦仲間3人が日本で初めての地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を発行し、レトロなまち並みや歴史ある神社仏閣、お祭り、人間の匂いがたちこめるまちを紹介したのがキッカケとなり、“谷根千(やねせん)”の愛称とともに谷中周辺の良さが浸透していったのです。

 そして、バブルの到来。幹線道路沿いで地上げが始まり、危機感を持ったまちの人たちがまちづくりに立ち上がりました。谷中の人々が選んだのは「再開発型」ではなく、「修復・保存型」のまちづくりで、谷中らしい価値や魅力を調べ、地域の人たちに伝え・残すというものでした。この頃、世の中は“まちを再開発して新しいきれいな建物に!”という流れの中でしたから、思い切った価値観の転換といえるでしょう。

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最終更新:10/22(火) 10:47
アーバン ライフ メトロ

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