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ゆりかもめ、豊洲の先どこへ行く? 計画は人口増で白紙 東京湾岸エリアの状況背後に

10/22(火) 15:02配信

乗りものニュース

勝どきを目指したゆりかもめ

 新橋からお台場、青海、有明を経由して、豊洲まで結ぶ東京臨海新交通臨海線「ゆりかもめ」は、2020年に開業25周年を迎えます。2006(平成18)年に有明~豊洲間が延伸開業し、終点となった豊洲駅(東京都江東区)ですが、ホームを過ぎてから軌道が左カーブを描きかけて途切れている不思議な構造をしています。ゆりかもめは豊洲から先、どこに向かおうとしているのでしょうか。

【地図】豊洲から先の「S字」延伸構想

 ゆりかもめには豊洲~勝どき間の延伸構想が存在しました。豊洲の交差点を左折して道なりに晴海方面に向かい、環二通りで右折して橋を渡り、またすぐに清澄通りとの交差点を右折して大江戸線の勝どき駅(東京都中央区)に到達する、ぐねぐねと蛇行した不思議なルートです。この延伸計画は、ゆりかもめにどのような役割を期待していたのでしょうか。それを理解するためには、臨海副都心とゆりかもめの関係を振り返らなければなりません。

 臨海副都心開発は1980年代、東京湾の埋め立て地に第7の副都心を整備するという構想からスタートしました。当時、都心ではオフィス不足から地価が高騰し、土地取引の投機化や地上げなどが社会問題化していました。そこで東京都は、丸の内の5倍以上の面積を持つ臨海副都心を開発し、都心周辺の工業用地を再開発することで、土地不足を解消しようと考えたのです。

交通空白地帯の晴海

 そのなかで注目されたのが、都心と臨海副都心の中間に位置する豊洲・晴海地域でした。この地域は明治後半から昭和30年代にかけて埋め立てられた土地で、工場や倉庫、港湾施設など工業用地として使われてきました。東京都は豊洲・晴海を臨海副都心線と一体的に再開発し、オフィス、商業、住宅が一体化した「職住近接の人間味あふれるまちづくり」を目指しました。

 課題は交通網の整備でした。都電時代も門前仲町から月島を経由して築地に抜ける路線があったのみで、都心からのアクセスはバス頼み。ようやく1988(昭和63)年に営団(現・東京メトロ)有楽町線が新木場まで延伸開業し、途中に月島駅と豊洲駅が開設されますが、再開発のエリアからは距離が離れていました。

 ここで注目されたのが、新橋と豊洲、ふたつのルートで都心と臨海副都心を結ぶ新交通ゆりかもめです。ゆりかもめは第1期線として新橋~有明間、第2期線として有明~豊洲間の整備が進められましたが、豊洲の交通空白地帯は豊洲延伸で解決されることになっていました。そこで、ゆりかもめを晴海方面にさらに延長することで、晴海の交通空白地帯も同時に解消しようと考えたのです。

 晴海から先はなぜ勝どきまでかというと、既に計画が動き始めていた都営大江戸線に接続すれば、その他の地域へのアクセスが可能になると考えられたからです(ちなみに勝どきから先の延伸も検討はされています)。

 ところが、臨海副都心の開業を前にしてバブル経済が崩壊。開発計画は大きく後退し、まち開きを記念して開催される予定だった「世界都市博覧会」も1995(平成7)年に中止が決定されてしまいます。豊洲、晴海の再開発も見直しを余儀なくされました。

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最終更新:10/22(火) 19:05
乗りものニュース

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