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石川、木塚、小川、今宮、三森…ホークスに受け継がれる名手の伝統

10/23(水) 16:40配信

東スポWeb

【越智正典 ネット裏】ペナントレース2位のソフトバンクが1位西武をCSで一気呵成に破って日本シリーズ出場を決めると、球団内では、改めて球団会長王貞治に敬意が集まっていた。

 昨年、ソフトバンクがCSを勝ち進み、日本シリーズで広島を破って「下克上」日本一になったのは記憶に新しいが、ことしレギュラーシーズン開幕直前に孫正義オーナーから王貞治に激励がとどいた。

「ペナントレースを1位で勝ち、CSも全部勝ち、日本シリーズも全勝せよ」。勇んで行けというのであったのだろうが、球団内では「王会長への厳命かなあー」。みんな心配した。が、王は悠然としていたのである。

「なあーに、下がしっかりしているから大丈夫だよ」。下とは二軍を指している。

 内川聖一が完調でなかったことしの夏のその「節」、一軍に引き上げられて一塁手で起用された三森大貴がファウルフライを取ったとき、私は二軍監督小川一夫の不断の教育を見る思いがした。三森は青森山田から入団3年目、右投げ左打ち、すらりとした長身。これからが楽しみな選手だが、両手で丁寧につかんでいたのである。プロ野球には打つしか考えない選手がときどき現れるが、彼はそうではなかった。

 そういえばCSで大活躍、CSのMVPになった今宮健太も小川が育てた選手だが、今宮はCS第4戦対西武の2回、中村剛也のショートフライを、まるで遊飛よありがとうと言っているように両手でそれは大事につかんでいた。勝つためのよいものの考え方と、その実践の総和が伝統になる。このことからいうと、小川は伝統を作り続けていると言える。

 戸畑商高のキャッチャー小川和夫は1972年、南海に5位指名で入団。翌73年、出場1試合。セカンドを守った。彼の通算成績は出場1試合。打数0、安打0。78年に現役のユニホームを脱ぐまで6年間の下積みの辛苦が彼を益々誠実な男にした。心中、燃える男にした。スカウトになると、戦後、南海の名将鶴岡一人が最も信頼していた「九州探題」石川正二(故)に師事。彼はいまも折々に娘さんを訪ねてお礼を述べている。

 石川正二は門司鉄道局の監督のときに、唐津中学から入社した南海のあの名ショート木塚忠助を育てている。契約金は7000円。門司の闇市で6000円でグラブを買って大阪へ向かった。「飛燕三尺拝み取り、木塚忠助サーカスプレー」。NHKの名アナウンサー志村正順が活写した。鶴岡が肯く。「ゼニが取れる第1号選手や!」。盗塁王4回。現役後、近鉄のコーチに招かれたが選手がちゃんと構えるまでノックを打たなかった。つまりは石川の野球であり、いまの小川にもつながっている。

 日本シリーズが始まっている。昔、ペナントレースの正念場で記者団に決意を聞かれて、一丸となって戦いますというところを、ヒトマルとなって戦います…と言った“猛”監督がいたが、巨人VSソフトバンク、ヒトマル野球はいよいよ、これからである。 =敬称略=

最終更新:10/24(木) 17:19
東スポWeb

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