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新潟県中越地震から15年 震災で全村避難した山古志村はいま

10/23(水) 6:16配信

ウェザーニュース

 2004年10月23日17時56分、新潟県中越地震が発生しました。M6.8、震源の深さ13kmの直下型地震、最大震度7でした。死者68人、家屋の全半壊は約1万7000棟、避難者は最大12万人にのぼりました。震災から15年の歩みを被害が大きかった旧山古志村(現長岡市)の“全村帰村”を通して振り返ります。

震災2日後に全村避難

 震源に近い山古志村は震度6強を記録し、さらに断続的な余震に襲われました。人口約2100人の村は死者5人、負傷者25人、全壊622棟の被害を受け、村内では地滑り329か所が発生して道路は寸断され、村は孤立しました。

 震災から2日後の10月25日、山古志村は避難勧告を避難指示に切り替え、全村民はヘリコプターで長岡市内の8か所の避難所に運ばれました。当初はヘリから降りた順に避難所に入りましたが、10日後に村内にある14の集落ごとに組み直し、日頃の人間関係のつながりをくずさず、集落単位にしたことで村民に安心感が出てきました。

 村民の多くが「震災で壊滅した山古志村に戻れるのか?」と思っていた頃、当時の長島忠美村長が「帰ろう山古志へ」というキャッチフレーズを打ち出しました。避難所から移った仮設住宅でも集落単位で入居し、そこに村役場や農協の店舗、郵便局も移ってきて村民たちの帰村への思いが募ったといいます。

仮設住宅で「畑の学校」「健康農園」

 震災から半年後の2005年4月、山古志村は長岡市に編入合併されました。これは以前から決まっていた平成の大合併ですが、旧村民の「帰ろう山古志へ」という願いは変わりませんでした。

 長岡市郊外の仮設住宅で暮らす主婦たちは、近隣の農地を借りて「畑の学校」という営農グループを立ち上げ、地場野菜を生産して販売したり、郷土料理をつくりました。「いきがい健康農園」という市民農園をつくり、営農も始めた人たちもいました。仮設住宅でも村で暮らしていたときのように生活することで、帰村に向けて営農意欲を維持することができたのです

 仮説住宅には生活相談員がつきました。市街地の生活に慣れない住民を支援し、精神的物質的なケアが行われました。住民と交流を重ねた生活相談員の中には、のちに山古志応援団として関わりを持つ人も少なくありませんでした。

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最終更新:10/23(水) 8:16
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