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永らく物理学の、いや自然科学の根本を築いた金字塔として君臨してきた著作―アイザック・ニュートン『プリンシピア 自然哲学の数学的原理』村上 陽一郎による書評

10/30(水) 6:00配信

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◆科学普及シリーズに入ったニュートン主著

言うまでもなく、ニュートンの主著であり、永らく物理学の、いや自然科学の根本を築いた金字塔として君臨してきた著作である。なお本訳書では「プリンシピア」と表記されるが、ラテン語の通常の読み方に従って、この文章では「プリンキピア」と書くことを許されたい。

原著の初版は一六八七年、ロンドンで、ラテン語での刊行。原題は『自然哲学の数学的原理』、「原理」のラテン語が<principia>なので、この部分だけを取り出して略称とすることが、国際的に慣習化されている。念のためだが、標題に「(自然)科学」も「物理学」も現れないことに留意しておくことも大切かもしれない。当時は「科学」という概念も、「物理学」という概念も存在しなかったのである。あったのは「(自然)哲学」だけ。

もともと、この原著は三つの巻(ラテン語では<Liber>、英語では<Book>と訳されている)から成っており、かなりの大著である。この翻訳でも、三編に分けて刊行された。もともとは翻訳者によって、昭和五二(一九七七)年に同じ書肆(しょし)から一度刊行されており、それが新装成って、ブルーバックスという、科学書の企画のなかの、輝かしい一著として、特別に復刊されたものである。先の単行本としての刊行から時間も経(た)っており、ポピュラリティという点でも、全く異なる普及シリーズの中にプログラム化されたことは、やはり画期的と言わねばなるまい。

一般的な観点からすれば、『プリンキピア』の後世への最大の影響は、第一編のほとんど冒頭に現れる絶対空間と絶対時間の提言、及び、やはり第一編の「公理、あるいは運動の法則」と題される表題の下で主張される、法則一、法則二、法則三、つまりいわゆる「ニュートンの運動の三法則」と呼ばれているものである。加えて、第三編の冒頭で詳しく説かれる万有引力、特に惑星や衛星と、中心となる天体との間に、距離の二乗に逆比例して働き合う「引力」の説明だろう。これら全てが、フランス啓蒙主義の洗練を受けて、「ニュートン力学」の名称の下で、自然現象に関する絶対的な法則系として、アインシュタインの相対論と、ボーア、ハイゼンベルクらの量子論によって、二十世紀初頭に相対的な地位に追われるまで、君臨し続けることになる。

さらに第三編の最後に現れる「私は仮説をつくらない」という警句も、本書のハイライトとして、しばしば言及される。もっとも、「じっさいの現象から導き出されないものはすべて仮説」だという、彼自身の仮説の定義からすれば、先に述べた、「他の何者にもかかわり」ない絶対
時間や、「いかなる外的事物にも無関係」とされる絶対空間とは、明白にその定義に抵触・矛盾することに、ニュートンが気付いていないのは、明敏なニュートンからすれば、興味深い手抜かりかもしれない。

それはともかく、ニュートン力学なるものの原点が、どのような書物なのか、それを日本語で、詳しい注釈つきで読み通すことができる、ということに、訳者の払われた努力への敬意と、実現された書肆に対する感謝とを記しておきたい。

訳者がこの大著を翻訳されるに当たっては、通常の翻訳以上の困難があったはずである。その中には純粋に原理的な問題がある。例えば最初に書いた通り、ニュートンの時代に、組織化された物理学という学問体系は存在せず、今では日常言語にさえなっている「加速度」や「運動量」(つまり質量と速度の積)という概念を表す言葉もなかった。また通常この書の最大の功績の一つと考えられている「運動の第二法則」は、高等学校の教科書でもf=maという式で表され(fは物体に加えられた力、mは物体の質量、aは加速度)であり、かつ加速度aは速度の時間微分として定義される。しかし、本書では、こうした式は一切使われず、ただ文章で述べられているだけである。

しかも、比較的よく知られた事実であるが、ニュートンとライプニッツは、現代にも使われる代数学的微分の算法の発案者として争ったこともある。ところが本書では、そうすれば簡単になるところでも、それには頼らず、幾何学的な方法で微分的な内容を読者に伝えようと、我々から見ると必死の努力をしているのである。それを日本語で忠実に追おうとすることに、どれだけの苦労が重ねられたか、察するに余りある。

しかし、今から見れば、この翻訳書にも、気になる点がないわけではない。例えば翻訳が英語版を元に行われたことにもある。「プリンシピア」という表記自体が、そのことに関わりがあるだろう。さらに、ニュートン自身に関する訳者の書かれた略伝にしても、ロバート・フックとの角逐、ケンブリッジ大学を辞めた後の彼の後半生、特に錬金術への生涯を賭けた傾倒などなど、触れなければならない論点が欠けているのは残念にも思う。現代の研究視点から、再解説が付されていれば、と思うのは不知足の弊だろうか。

[書き手] 村上 陽一郎
1936年東京生まれ。科学史家、科学哲学者。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。上智大学、東京大学先端科学技術研究センター、国際基督教大学、東京理科大学大学院、東洋英和女学院大学学長などを経て、豊田工業大学次世代文明研究センター長。著書に『科学者とは何か』『文明のなかの科学』『あらためて教養とは』『安全と安心の科学』ほか。訳書にシャルガフ『ヘラクレイトスの火』、ファイヤアーベント『知についての三つの対話』、フラー『知識人として生きる』など。編書に『伊東俊太郎著作集』『大森荘蔵著作集』など。

[書籍情報]『プリンシピア 自然哲学の数学的原理 第1編 物体の運動』
著者:アイザック・ニュートン / 翻訳:中野 猿人 / 出版社:講談社 / 発売日:2019年06月20日 / ISBN:4065163870

毎日新聞 2019年10月6日掲載

村上 陽一郎

最終更新:10/30(水) 6:00
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