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世界一の歓楽街「新宿」に突如現れる秘境 玉川上水「余水吐」とは何か?

2019/11/4(月) 7:30配信

アーバン ライフ メトロ

四谷大木戸と内藤新宿

 世界一の歓楽街・新宿。その東の外れにおよそ新宿とは思えない、うっそうと茂る木々に囲まれた秘境が眠っています。水量の多かった玉川上水が、四谷大木戸から地下水道へ入る前に、余った水を落水していた「余水吐(よすいばき)」の跡。今回は、ちょっと変わった名前の水路を探索します。

【地図】理解が深まる? 「余水吐」の流路と新宿御苑の位置関係を見る

 余水吐のスタート地点である四谷大木戸は、現在の四谷四丁目の交差点付近。江戸開幕後ほどなくして開設された見附(検問所)があった場所で、道の両側に石垣を築いて門を設置し、甲州街道から江戸市中へ入る人馬や物品を改めていました。

 その後江戸の中期になって、四谷大木戸から追分(おいわけ、現・新宿3丁目交差点付近)にかけて造られた宿場町が内藤新宿です。宿場には多くの旅籠茶屋が並び、特に飯盛女(めしもりおんな = 遊女)を大勢抱える岡場所(おかばしょ)として栄えたことは、現在の新宿のルーツといえるでしょう。

 内藤新宿の名は、のちに触れる内藤家の下屋敷(現・新宿御苑)があった場所だったこと、そしてそれまで小規模な人馬の休憩所にすぎなかった内藤宿に対し、新しい本格的な宿場という意味あいで命名されたといわれています。

四谷大木戸と玉川上水

 そんな宿場町と武家屋敷の間を流れていたのが玉川上水でした。江戸市中の急増する人口に対応すべく、幕府の命によって玉川兄弟が造営したとされる玉川上水は、東京の羽村市から約43キロの掘割(ほりわり)を流れ、四谷大木戸から地下水道となって江戸市中を潤していました。その最後の堀割区間がこの場所です。

 地下水道は、まず「石樋(せきひ、いしどい)」と呼ばれる石製の太い水道管で虎ノ門まで通水し、その後は「木樋(もくひ、きどい)」と呼ばれる木製の水道管で主に江戸城内および四谷を中心とした城西地区へ水を供給していました。地下鉄工事などの掘削作業にともない、1957(昭和32)年にこれらの樋が発見されたことによって、玉川上水地下水道の全貌が初めて明らかになったといわれています。

 地下水道へ入る直前には水門が造られ、水量や水質の管理を行う水番小屋がありました。『江戸切絵図』を見ると、この水番小屋を「玉川御上水御改場」と記しているので、上水の水が基本的には江戸城のためのものだったことがうかがえます。

 水門の手前には「芥留(あくたどめ)」と呼ばれるゴミの選り分け装置を備え、常に江戸市中への水質を管理していました。宿場に近いことから、馬の糞尿が流れ込むのを監視したり、宿場の遊女となさぬ仲になった男女の身投げを警戒してもいたようです。

 ちなみに当時はろ過や消毒といった処理はなく、原水のまま市中へ送水していたといわれます。現代から考えると想像しがたいですが、流域の村には、厳しい規制がかけられていたので、それなりに綺麗な水だったのでしょう。

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最終更新:2019/11/4(月) 7:30
アーバン ライフ メトロ

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