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<つかめTOKYO2020>競泳・吉田啓祐(19)唐津市出身日大1年 体格生かし「大きな泳ぎ」

11/7(木) 17:03配信

佐賀新聞

 昨年11月、東京辰巳国際水泳場で開かれた競泳の北島康介杯。当時日大豊山高(東京)3年だった唐津市出身の吉田啓祐(19)=日大1年=は、400メートル自由形の決勝に進んだ。隣のレーンを泳ぐのは、同種目の日本記録保持者で五輪2大会連続メダリストの萩野公介。近年の日本競泳界を引っ張ってきた第一人者との直接対決だった。

 吉田はスタートから萩野に先行してレースを進めると、終盤の激しい競り合いを制して1秒80先着し、頂点に立った。「コンディション次第で強い人でも負ける時はある。勝ったからうれしいというのは一切なかった」。本人は淡々と振り返るが、この勝利で自由形中・長距離の次期エースとしての存在感を高めた。

 183センチ、74キロの体格を生かした「大きな泳ぎ」(吉田)が持ち味。ゆったりと泳いでいるように見えるが、長い手で水をしっかりとかき切ることで、前への強力な推進力を生み出している。日大進学直後の4月の日本選手権では、400メートル自由形で3分47秒10の自己ベストをマークして初優勝。7月には800メートルリレーのメンバーで世界水泳(韓国)を経験し、ユニバーシアード夏季大会(イタリア)では400メートルの金メダルを獲得。おぼろげな夢だった東京五輪は、はっきりと現実味を帯びてきている。

 地元・唐津市のスイミングクラブで4歳から水泳を始め、成和小2年で選手コースに進んだ。「いつドカンと伸びたというのはなく、徐々に上がっていった」。小学6年時には自由形の100、200、400、800、1500メートルで県学童記録を更新し、1500メートル長水路の日本学童新記録も樹立。中学では東京五輪を目指す世代のトップ選手が集まる合宿にも参加した。高校からは親元を離れて東京で寮生活を送りながら競技に打ち込み、自己ベストを次々に塗り替えて日本を代表する選手の一人となった。

 「水をキャッチする技術やキックが優れていた。教えたことはすぐにできるし、すでに完成された感じだった」と中学2、3年時に指導した恋塚和洋コーチ(41)。現在の活躍について「日大豊山で精神的な部分が成長したのも大きいのでは」と推し量る。

 競泳の五輪選考基準は明確だ。来年4月の日本選手権で派遣標準記録を突破して2位以内になること。タイムは世界大会で決勝進出を狙える高水準に設定されており、吉田がメーンに位置づける400メートル自由形は3分46秒34。まだ一度も突破したことがない高い壁だ。

 ただ、「そんなにきついとは思わない」。吉田は言い切る。自信を深めたきっかけは9月に開かれた日本学生選手権(インカレ)。3分50秒45で400メートル自由形を制した。ベストより3秒以上遅いタイムだが、実は大会約10日前の8月末、走っている際につまずいて左足親指の第2関節を骨折していた。ヘルニアも抱え、ほとんど練習できないまま臨んだ本番で一定の結果を残した。「インカレは泳ぎがめちゃくちゃだった。故障なく、ちゃんと練習を組めてしっかり調整できれば、ベストは出ると思った」

 屈強な体格の世界の強豪と渡り合うため、今後は水中だけでなく、ウエートトレーニングなど陸上の練習も重視していく。来年4月までに3大会に出場して調子を上げながら、夢の切符を懸けた大一番に臨む。「あと半年しかないので練習あるのみ。選考会でベストを出して東京オリンピックの出場権を獲得したい。出るだけでなく、メダルを取るつもりで頑張る」。唐津から巣立った若きスイマーが、真夏の主役となる。

 よしだ・けいすけ 成和小-唐津五中-日大豊山高-日大。4歳で競技を始め、小学生時代に自由形の県学童記録を次々に更新。高校ではインターハイ制覇をはじめ、2018年のユースオリンピック(アルゼンチン)800メートル自由形銀メダル、400メートルは銅メダルと飛躍した。今春日大に進学し、4月の日本選手権400メートル自由形で初優勝。唐津市和多田出身。19歳。

■競泳代表への道 

 日本水泳連盟は、東京五輪代表選手の選考基準について「決勝進出が可能な選手を選考することを基本とする」と方針を掲げる。来年4月の日本選手権の決勝で、今夏の世界選手権の決勝進出タイムをもとに定めた派遣標準記録を突破することが条件。基準をクリアした選手が3人以上いる場合は上位2人を選考する。吉田はメーンの400メートル自由形のほか、800メートルとリレー(200メートル×4)での出場も目指している。

最終更新:11/29(金) 10:12
佐賀新聞

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