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昔、日本では「赤いクルマ」が禁止だった 禁止の理由は何と……!

11/8(金) 11:12配信

ねとらぼ

 先日、「ドイツでは金色のクルマが違法」というニュースが話題になりました。

 その理由は「まぶしすぎるから」。警察は他のドライバーに迷惑で、危険だからやめなさいと注意したもののオーナーは無視。2度目の検挙で「反省なし」と判断され、押収するまでに至りました。

【画像】こうして、こんな「赤」のクルマが許可された

昔、日本では「赤いクルマ」が禁止だった

 実は日本でも昔、クルマに塗ってはいけない色がありました。その色とは、スポーツカーなら定番中の定番、好きな人も多いであろう「赤」です。情熱の赤、レーシングレッド、イタリアンレッド、などの言葉とともにスポーティーなイメージがあると思います。魔除けの赤なんてのもありますが。

 日本で赤色のクルマが禁止されていたのは1960年頃まで。60年近く前のことなので現在はもちろん大丈夫ですが、赤が禁止されていた理由は一体何だったのでしょうか。

禁止の理由は「紛らわしいから」

 その理由は「緊急車両(消防車)とまぎらわしいから」。運輸省(当時)が民間車両のボディーカラーとしては認可せず、事実上市販車には使えない色になっていたのでした。

 「いくらなんでも消防車と見間違えること、あるかなあ……」と現代の感覚では思ってしまいますが、国土交通省の統計データによれば1960年の自動車保有台数は全国で約290万台しかありませんでした。2010年代の保有台数はおよそ8000万台前後ですから、その数はウン10分の1。そんな時代のことですから見慣れない赤いクルマが走ってきたら「消防車だ!」と慌ててしまうかもしれないのも無理はなかったかもしれません。

「赤」のクルマが許可されたのは「本田宗一郎さんのおかげ」

 ではなぜ、運輸省が重い腰を上げて「赤いクルマを売ってもOK」になったのでしょうか。その影には、本田技研工業(ホンダ)の創業者、本田宗一郎氏の奮闘がありました。

 二輪車メーカーだったホンダは、1962年に同社初の四輪車「SPORTS 360」を発表しました。市販化には至りませんでしたが、翌年の「S500」につながったこのクルマは、当時最先端のメカニズムを詰め込んだオープンスポーツカーでした。

 この鮮烈なデビューを果たすために「イメージカラーは赤にする」と決め、そのために運輸省を説得したと伝えられています。そして建設途中の鈴鹿サーキットを「真っ赤なSPORTS 360」が駆け抜けて、同時にホンダ四輪時代の幕も開いたのです。

 この活動がなければ、スポーツカーは赤というイメージは定着しなかったかもしれません。真っ赤なポルシェも日本の道路を駆け抜けてはいなかったかもしれません。もしかしてタイプRの赤いロゴ、VTECエンジンヘッドカバーの赤色結晶塗装などもなかったかもしれませんね。

 ……「本田のおやっさん、ありがとう」。

ねとらぼ

最終更新:11/8(金) 11:12
ねとらぼ

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