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京都外大西時代の恩師が語る大野雄大(中日)「あの20キロを走り抜いたのは、彼がはじめてです」

11/8(金) 12:01配信

高校野球ドットコム

 佛教大から2010年・ドラフト1位で中日ドラゴンズ入団。プロ入り9年目を迎えた2019年シーズンは自身初のノーヒット含む9勝をあげ、自身初個人タイトルとなるセ・リーグ最優秀防御率賞(2.58)にも輝いた左腕・大野 雄大投手。現在開催中の「世界野球プレミア12」侍ジャパントップチームにも2015年に続き選出され、2020年・東京五輪での活躍も期待される。

 では、そんな大野投手の高校時代はどんな選手だったのだろうか?今回は京都外大西高に大野投手を導き途中まで監督として指導。今年は広島文化学園大監督として初の中国地区大学リーグ1部昇格と梅林 優貴捕手(北海道日本ハムファイターズドラフト6位)を輩出した三原 新二郎監督に秘話を聞いた。

雄大は学校からグラウンドの往復20キロを3ヶ月走り抜いた

 (大野)雄大を始めてみたのは京都市立藤森中の時です。ここは倖田 來未(歌手)とかの出身校でもあるんですが、ここの監督は僕と親しかったので試合を見に行ったんです。

 その時の第一印象は「ええカーブを放るなあ」。ということで京都外大西に進学してもらうようになったんです。

 彼については忘れられない思い出があります。1年生の時、彼はなかなか試合に出る機会がないので、学校からグラウンドまでの10キロを走らせていたんです。しかも学校から最初の7キロは割と平坦なんですが、残りの3キロはかなり厳しい坂道。

 普通であれば音を上げてもおかしくないんですが、雄大はそれを往復。要は20キロを走り続けたんです。「途中で走らなくてもいいけど、いつまで続くんかな」と思ったら3か月間やり抜きました。こんな選手は僕が今まで53年間指導してきた中で後にも先もありません。「すごいな」と思いました。

 僕は彼が2年生の時、定年退職で監督の座から離れましたが。そういったことが彼の基礎になっているし、高校時代の140キロくらいから佛教大で151キロを出す要因になったと思いますね。度胸もありました。今年、北海道日本ハムファイターズから6位指名を受けた梅林優貴(捕手・広島文化学園大4年)も度胸はあるけど、雄大はそれ以上でした。

 加えてアイツは中日ドラゴンズに指名されたこともよかった。当時の監督だった落合 博満さんに「1年間は左肩の治療に専念しろ」と言われたことで大成することができたと思います。彼自身も落合さんには感謝の言葉を今でも言っていますね。

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最終更新:11/8(金) 13:29
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