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戦争のしょく罪から始まった首里城復元 財源確保、国営化に向けた大物政治家の思い

11/9(土) 18:10配信

沖縄タイムス

 [失われた象徴 首里城炎上](8) 山中氏の思い 

 4度の焼失を乗り越え、1992年に正殿が再建された「5代目」首里城は、沖縄にとって戦後復興と日本復帰の象徴だった。再建までのいきさつをひもとくと、復元を求める県民の熱意と、沖縄戦への贖罪(しょくざい)意識を持った初代沖縄開発庁長官、故山中貞則氏の尽力の足跡が浮かび上がる。

 「地上戦で人だけでなく首里城や多くの文化財が壊滅した。政府として復元に力を貸すことは当然だ」

 70年5月。那覇市内のホテルで琉球政府から国費での首里城復元を求められた山中氏はこう明言した。

 復元への強い思いの裏側には、凄惨(せいさん)を極めた沖縄戦があった。第2次大戦で米軍は京都、奈良の寺社への攻撃を避け、皇居への砲撃も回避した。

 だが、古都・首里では雨のような砲弾を浴びせ、日米両軍の激しい戦闘により首里城や貴重な文化財を奪った。なぜか。日本軍が首里城地下に陸軍第32軍総司令部を置いたためだ。

 「形がなくなったものを復元するのは文化財とはいえない」と渋る大蔵省(現財務省)を説き伏せた。「旧軍が司令部壕を構築したために攻撃された。戦費を査定した大蔵省にも責任がある」(首里城復元期成会編「甦る首里城」)

 ただ、山中氏も「国営」とすることに不安を抱えていたという。当時、県観光文化局長だった仲里全輝元副知事は「国が復元し県民の誇りを奪わないか」と漏らしていたことを記憶している。西銘順治知事(当時)と山中氏を訪ね「所有は形式的な問題にすぎない。裏返せば国営は国民的な価値があるということだ」と説得したという。

 国は首里城を国営にすれば海洋博覧会記念公園に続く「1県2国営公園」になるという批判を、海洋博と首里城を一つの国営公園にまとめ開場にこぎ着けた。

 政府と都市再生機構(UR)は86年度に首里城整備を閣議決定してから2018年度まで復元に約260億円をかけた。玉城デニー知事は火災翌日に上京して再建支援を要請し、政府・与党も前向きな姿勢だ。

 だが、全面的に政府に支援を求める姿勢に疑問の声も上がる。下地幹郎衆院議員(維新)は「沖縄自ら復元すべきだ」と政府に頼らない再建の必要性を訴え、県に提案書を提出した。

 一方、仲里氏は「正殿は再び国が整備すべきだ」としつつ、寄せられた寄付で正殿以外の整備や文化財収集などに充てることを提案する。「大事なのは県民が自分たちの首里城と誇りを持つこと。国、県、市が知恵を寄せ合うことが大切だ」と訴えた。

(政経部・大野亨恭)

(写図説明)正殿を背に山中貞則氏らがテープカット。県民が待ち望んだ首里城公園が開園した=1992年11月2日

最終更新:11/9(土) 21:31
沖縄タイムス

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