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『ラストタンゴ・イン・パリ』画家フランシス・べーコンが映画監督たちに与えるインスピレーション、その源流

2019/11/11(月) 16:59配信

CINEMORE

31歳のベルトルッチが手がけた衝撃作

 2018年11月に他界した、イタリアの巨匠、ベルナルド・ベルトルッチ監督(享年77才)。達観した視点でヨーロッパの退廃を官能的に美しく表現する術を持ち、わずか29才で撮った『暗殺の森』(70)で、アカデミー賞脚色賞にノミネート、世界的な地位を得る。そして『ラストエンペラー』(87)では、ノミネートされた9部門全て受賞する快挙を成し遂げる。

 その後も、モロッコを舞台に一組の夫婦の過酷な運命を描いた、ポール・ボウルズ原作の映画化『シェルタリング・スカイ』(90)、仏教をテーマにした『リトルブッダ』(93)など、映画化困難なテーマやストーリーに果敢に挑戦し続け、多くの映画人やファンを魅了し続けてきた。

 そのような華々しいフィルモグラフィーの中でも、実験的野心に満ち、テーマとクラフト性が高いレベルで結実した初期の作品がある。その後の映画人に多くの影響を与えたその作品は『ラスト・タンゴ・イン・パリ』(72)だ。

 パリのアパルトマンを舞台に、互いの名前も知らない中年男性と若い女性が重ねる逢瀬。さぞかしロマンチックな内容・・・と思いきや、そこはベルトルッチ、そうはいかない。撮影当時31才とは思えない、老衰したかのような冷徹な視点で二人の行方を描く。

 マーロン・ブランド演じる中年男性は妻に自殺されてその理由がわからず人生に疲れ果てている。その虚無感が、マリア・シュナイダー演じる若い女性を逆にひきつけることにもなる。二人の性愛シーンでは感情の高揚もロマンチシズムのかけらもなく、観る人にいっさいの感情移入を許さない。やがて物語は衝撃的なシーンで幕を閉じるのだが、ベルトルッチ監督は、すでに映画の冒頭に、本作のテーマを伝える一つのクライマックスを用意している。

フランシス・ベーコンの絵に込められた意図

 当時の映画では冒頭にまずタイトルが出るという作品が多く、本作品も同様の構成なのだが、そのタイトルバックには、2枚の絵画が順番に出現する。一見したところ、美術館でよく見かける西洋の人物画だが、よく見るといずれも顔や肉体の輪郭線が曖昧で、原型をとどめないレベルにまで歪んでいる。椅子やベッドらしきものに身を任せてはいるが、室内のような空間は閉ざされており、描かれているのは誰で、どこなのか、情報が一切無い。余白を生かした空間配置や塗り込められた色使いもあって、不安感に満ちている。だからこそ、キャンバス中央に描かれた人物の肉体感だけが印象的に浮かび上がってくる。

 画家の名前は、フランシス・ベーコン(1909-1992)。極端に顔や肉体を歪ませた人物や、正体不明の生物らしき物体を、大胆で過激な筆致で描き、見る者を離さない印象的な作風で一躍有名になり、20世紀最も重要な画家と評されたイギリス人画家である。

 『ラスト・タンゴ・イン・パリ』に使用されている絵はその中でも比較的おとなしい、わかりやすい作品ではあるが、それでも、不穏な印象を抱かせるには十分である。実は、モデルとなった人物は、一枚は画家本人の恋人であった男性、一枚は交流のあった女性ではあるが、そこには内面が感じられず、楽しさや悲しさなど、わかりやすい感情や意味を読みとろうとしても難しい。

 フランシス・ベーコンはゲイであり無神論者であった。若きベルトルッチは無神論者を貫いたパゾリーニ監督の助監督をしていた時期があった。精神性の伴わない、肉体関係だけの男女のコミュニケーションとその断絶。そのようなテーマを、タブーを恐れず映画で描こうとしていたベルトルッチは、常識や思い込みの破壊をフランシス・ベーコンにみてとったはずである。ガトー・バルビエリのスローなジャズ音楽と共に、映画の通奏低音を冒頭から響かせたかったに違いない。

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最終更新:1/6(月) 15:26
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