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【世紀をつなぐ提言】64年大会フェンシング女子代表・大和田智子〈下〉口笛ヒントに代表の座

11/16(土) 11:03配信

スポーツ報知

 専大入学後、自衛隊での日本代表候補強化合宿に参加した大和田は、重量挙げの金メダル最有力候補だった三宅義信の“散歩姿”に驚いた。彼は朝霞駐屯地内を逆立ちで移動していた。「何してるんですか」と声をかけると「散歩も全部、トレーニングなんだよ」と返ってきた。この言葉に感銘を受け、同じ宮城県出身ということもあり、その後はさまざまな助言をしてもらった。

 三宅が出場していた大会を観戦すると、不思議に思ったシーンがあった。試技の前に口笛を吹いていた。「バーベルを上げるのに『ここだ』というタイミングを計っているということでした」。口笛を吹くイメージでフェンシングに生かした。「『ここだ』という距離を待つのです。そこで、剣を動かしました」

 このアドバイスの効果もあり、100人の候補から5回の選考会を経て日本女子フェンシング初の五輪代表の座をつかんだ。だが大会直前、40度の高熱が出て入院。開会式もベッドから見たが、どうにか出場し1次リーグは3勝1敗で突破。ただ、同日の2次リーグで戦う体力は残っておらず、4戦全敗で終わった。「追い込まれると思いもよらない力が出ることが分かりましたが、悔しくて3年間、布団を叩きました」と振り返った。

 その後は専大職員となり、48歳から70歳まで女子フェンシング部の監督を務めた。監督最終年の2011年、故郷の宮城・気仙沼市が東日本大震災に襲われた。実家は津波に流された。兄嫁、姪は避難して無事だったが、友人や知人が犠牲になった。鼎(かなえ)が浦高時代のコーチで全日本王者だった千葉卓朗も、震災の影響で透析を十分にできず、約2か月後に亡くなった。「実家近辺は昔の面影はありません。今でも、テレビに震災の様子が映ると涙が出ます。来年は復興五輪と言われていますが、震災に遭った方たちの心を復興させるようなパワーを見せてほしいですね」と願いを込めた。(編集委員・久浦 真一)=敬称略=

 ◆大和田 智子(おおわだ・ともこ)1941年3月15日、宮城・気仙沼市生まれ。78歳。インターハイ団体で2、3年時優勝。個人は2年時に3位。64年全日本選手権フルーレ優勝、同年の東京五輪フルーレ個人、団体に出場。20年東京五輪招致活動も行った。

最終更新:11/16(土) 11:03
スポーツ報知

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