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野放し資本主義がもたらした反自由主義の台頭

11/12(火) 14:00配信

ニュースソクラ

【舛添要一が語る世界と日本】ソ連崩壊につながったベルリンの壁崩壊から30年

 30年前の1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊した。

 当時、私も、ブランデンブルク門を仰ぎ見ながら、壁の前に立ち、ドイツ人から借りた大きなハンマーで壁をたたき壊したことを記憶している。

 東西冷戦の終焉であり、世界が大きく変わる歴史的瞬間であった。第二次大戦後の世界は、アメリカとソ連という二つの超大国の対立を軸として展開してきた。それが、遂にアメリカの勝利で決着がついたのである。

 資本主義が共産主義に、民主主義が独裁政治に勝った。自由陣営からは歓喜の声が上がった。1991年12月にはソ連邦が解体した。そして、ウクライナなどが独立国家となったのである。

 ソ連共産党に支配され、ワルシャワ機構軍に組み込まれた東欧諸国では、自由を求める民衆の動きが続いてきた。1956年には、ハンガリーで民主化を求める暴動や動乱が起こったが、ソ連の戦車によって潰された。

 1968年には、チェコスロバキアで、ドプチェク政権が「人間の顔をした社会主義」を模索したが、やはりソ連によって弾圧された。

 ソ連邦の解体によって、東欧諸国は、一党独裁の抑圧体制から脱し、国民の自由な選挙によって代表が決まる体制へと転換していった。EUに加盟する国も増え、ソ連圏は遠い過去の話になってしまった。

 イマニュエル・ウォーラーステインが提唱したような世界システム論の立場から言えば、資本主義が世界を覆い尽くしたということである。そして、覇権国アメリカの地位、そしてパックス・アメリカーナ(アメリカの平和)は盤石のものとなったのである。

 30年が経過した今、世界は当時の歓喜の声が虚しく聞こえるような重苦しい状況になっている。それを象徴するのがハンガリーである。社会主義体制末期に反政府組織「フィデス」の設立に参画して、抗議活動をリードしてき若き闘士、ビクトル・オルバンが、今や首相として国の舵取りを行っている。その彼が、「illiberal democracy(自由でない民主主義)」を唱道しているのである。

 ソ連圏で自由のない国から自由な民主主義を構築したオルバンが、民主主義的選挙で選らばれた以上、国民の意思を代弁しているので、表現の自由などは保証しなくてもよいと主張している。移民や難民を排斥するポピュリストでもある。30年前の理想はどこに行ったのであろうか。

 ポーランドやチェコでも、同様な極右ポピュリズム政党が政権に就いたり、勢力を拡大したりしている。社会主義体制下で、自由を求めて反ソ連、反政府の抗議活動を激しく展開した国ほど、基本的人権の擁護に怠慢になっているのは皮肉な現象である。

 移民排斥感情の背景には格差の拡大がある。ドイツでも、旧西独と旧東独の格差は解消していない。西側は貧しい東側のための税負担を嫌がり、東側はいつまで経っても格差が縮まらないことに不満を抱いている。

 東西冷戦の時代には、東側は平等の価値を高くうたい、西側は自由を誇った。自由競争は格差を生む。その欠陥を鋭く指摘したのが社会主義であり、発展途上国が近代化を遂げようとするとき、ソ連型の社会主義計画経済を採用することがあった。資本主義側は、それに対抗するために社会主義敵な政策を取り入れ、両者をミックスした混合経済体制を発展させた。

 それが「第三の道」の主張であり、北欧型の社会民主主義政権による福祉国家の建設であった。

 ところが、米ソ冷戦の終焉とともに、社会主義体制が失墜し、資本主義にとっては、いわばライバルがいない状態となってしまった。それが、格差を野放しにするような、資本主義の堕落につながり、極右ポピュリズムの台頭となって帰結している。

 そして、ソ連型とは異なる形で、今や中国の社会主義市場経済がアメリカに対抗している。それが、新たな東西冷戦となりつつあり、パックス・シニカの到来まで議論される状況となっている。歴史は複雑な道を辿っていく。

舛添 要一(国際政治学者)

最終更新:11/12(火) 14:00
ニュースソクラ

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