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首里城に誓う「ただでは起きない」 城下町の78歳自治会長 王府迎賓館と王世子の家復元も描く

11/12(火) 18:10配信

沖縄タイムス

[首里城と私]首里崎山町自治会長 大城昌周さん

 首里崎山町の自治会長、大城昌周さん(78)は首里城跡周辺で遊び育った。沖縄戦で受けた胸の傷を見られたくなくて、小学校の水泳の授業は見学ばかりしていたが、放課後になると友だちと龍潭(りゅうたん)に飛び込み泳ぎを覚えた。

 首里城跡周辺は通学路。首里高校に進学すると、跡地に建った琉球大学に憧れた。「あの頃は首里城が復元するなんて夢にも思わなかったよ」と振り返る。

 6年前から自治会長を引き受け、首里城の麓で、首里城を生かしたまちづくりをしてきた。首里城の行事があるたびに、地域の仲間と出掛けた。10月31日未明、「心の財産」が燃え上がるのを、崎山公園から見届けた。

 火災で催しの自粛ムードも漂い始めた時、携帯電話が鳴った。「再建のために旗頭の演舞をしたいと思います」。自治会の青年会長からだった。

 その言葉に、思い出した光景がある。首里高に通っていた1958年ごろ、学校の前で地域の人たちが「国頭サバクイ」の曲に合わせて大きな丸太を引っ張っていた。沖縄戦で焼失した「守礼の門」の再建事業。「あの時の地域の人たちと、いま旗頭を揚げて再建を目指す若者たちの意気込みは、間違いなく同じだ」

 首里城の建物は失われたが、残ったものがあるという。「青年会や子どもたちが一生懸命頑張っている姿に、今回ほど感激したことはない。心を一つにすることができた」と語る。

 悲劇が起きてしまったいま、思い描くのは「再建」だけにとどまらない。地域に跡地がある琉球王府の迎賓館「御茶屋御殿」と、琉球国王世子の旧殿宅「中城御殿」を、この機に復元すること。「首里城が焼けてチルダイ(がっかり)したけど、転んでもただでは起きない。首里城とゆかりのある所も合わせて3点セットで、よみがえらせたい」(社会部・榮門琴音)

最終更新:11/12(火) 18:35
沖縄タイムス

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