プロ野球で戦力外になった選手が現役続行を懸けて臨む「12球団合同トライアウト」が、12日、大阪で行われ、43人の選手が必死でアピール。
病と闘う祖父との約束…「もう1度プロで」中日戦力外の友永 かつての“背番号1”が運命のトライアウト
ドラゴンズから戦力外通告を受けた友永翔太選手も43人の1人。現役にこだわった理由は病と闘う祖父との約束だった。
中日ドラゴンズから戦力外通告を受けた友永翔太選手、28歳。10月1日、祖父母の住む、大分県でトレーニングを続け、トライアウトへの準備を行っていた。
友永翔太選手:
「(戦力外通告で)球団からは正直何もなくて、『お疲れさま』ということと、『ウチでは契約しないから、他で頑張ってくれ』っていうその二言…。その時はある程度、やりきったっていうか、そういう気持ちも強くて(現役は)終わりでもいいかなって思ってましたね」
2014年にドラフト3位で入団した友永選手。50m5秒8の俊足が落合GMに高く評価され、背番号は新入団選手として、異例の「1」番。
ドラゴンズの中心・センターを守る大島洋平選手を超える逸材として期待された。
ルーキーイヤーの2015年7月5日、本拠地ナゴヤドームでのジャイアンツ戦では、高校の先輩で、日本を代表する菅野投手からヒットも放った。
しかし1年目のヒットはこの1本のみ…。その後は背番号1に見合った活躍ができず、2018年には62に変更。結局、プロ5年間でわずか7安打。自慢の足も生かせないまま、戦力外通告を受けた。
友永翔太選手:
「まず(背番号が)1番である以上は、絶対、下で(2軍)で燻ってちゃなんかいけない、と思って、2年3年経って、すごく(1番の)重みを感じてきて、いろんな人に…『早く背番号を返せ』と言われたこともありました」
悔しさばかりが残ったプロ生活。それでも再び勝負の舞台に戻ろうとトライアウトへの参加を決めた。後押ししたのは、祖父だった。
友永選手の祖父・豊次さん85歳、肺の病と闘っていた。10月22日、豊次さんにトライアウトに挑戦する友永選手への思いを聞いた。
友永選手の祖父・豊次さん:
「いつもテレビを見ていて、翔太が出ないかなって。(友永選手は)野球が好きだからね、それで食べていければ一番いいんだけど。だからトライアウトは応援したい」
友永選手:
「今回ね、トライアウト受ける、もう1度プロを目指してやるっていう頑張っている姿を見て、もう1回元気出してくれたらなって思って、そういう気持ちで頑張ってきます」
祖父・豊次さん:
「ありがとう。頑張ってな。応援する。どこの球団でも引っかかればそれが一番だ。お前がカムバックしてくれたら、オレ(の病気)も良くなる」
最終更新:11/13(水) 18:17
東海テレビ
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