ここから本文です

【巨人ドラ1 狙え令和のエース】<中>堀田、中3の衝撃 打撃自信も佐々木朗希に見逃しK

11/15(金) 6:07配信

スポーツ報知

 堀田は中学3年時に衝撃の出会いを果たす。今秋のドラフトでロッテに1位指名された令和の怪物・佐々木朗希だ。同じ岩手出身の右腕に対して何を思い、何を感じたのか。成長物語の第2回(全3回)を連載する。

 幼少時から食が細かった。花巻シニアでは体を大きくするため、弁当のほか、練習の合間におにぎりを5つ食べることが決まり事とされていた。周りが大きなおにぎりをほおばる中、堀田は母・有里さんが握ってくれた小さなおにぎりさえ食べきることができず、こっそり家に持ち帰っていたという。

 中学2年の秋に投手転向し、初めて迎えた公式戦の新人戦。背番号1を背負ったが、勝負どころとされた大一番の試合では、投手経験の長い1学年下の後輩が先発マウンドに立った。「監督の信頼を勝ち取れていないという悔しさしかなかった」。そして大会後に迎えた初めての冬。雪が降り積もるグラウンドでタイヤを引っぱるロープを腰に巻いて、長靴を履き、走ってならした。高低差が激しい山道でのロードワークを何十往復もこなし、下半身の強化に努めた。すると、徐々に制球が安定し、球速もアップした。

 投手としての自信がつき始めた中学3年時、2つ目の転機が訪れる。Kボール【注】で対戦した投手に度肝を抜かれた。最速163キロを誇り、大船渡高からロッテに1位指名された“令和の怪物”佐々木朗希だった。1打席のみの対戦で、堀田は見逃し三振に倒れた。もともと野手で4番を任されており、打撃には自信があったが、剛速球にバットを出すことすらできなかった。昔のことはあまり覚えていないと話すが、この1打席だけは鮮明に覚えている。

 「中学の時、自分はあんな球は投げられなかった。同学年でこういう球を投げられるやつがいるのか」。これまでにない衝撃を受けた。同学年なのに手も足も出なかった。堀田の闘争本能に火がつき、より一層練習に没頭した。3年の最後の大会では東北大会3位に輝き、チームを創部初の日本選手権出場へと導いた。

 全国大会を経験したことで「もっとレベルの高いところで野球をやりたい」と進路を選択。最初に声をかけてもらった青森山田高に進学を決意した。地元にはエンゼルス・大谷、マリナーズ・菊池らを輩出した強豪・花巻東があったが「県外の方が成長できると思った」。単身、青森での寮生活。母・有里さんは「賢慎がいなくなったら寂しい」と引き留めたが、熱意で圧倒。親元を離れ、野球漬けの生活に身を投じた。

 青森山田高に進学した堀田だが、全国から推薦で入学した新入生の中で決して目立つ存在ではなかった。入学時の体力テストでスピードを測った際は、同学年が130キロを超える速球を投げ込む中、最速は125キロ。瞬発力、持久力、筋力、抜きんでるものは何一つなかった。それでも将来性を評価され1年春からベンチ入り。そして2年秋。屈辱的な大敗が、さらに堀田を成長させることになる。(河原崎 功治)

 【注】Kボールの素材は軟式球と同じゴム製で、中は空洞。重さ・大きさは硬式球とほぼ同程度。けがを防ぎ、高校で軟式から硬式へ、スムーズに移行できるよう考案された。

最終更新:11/16(土) 14:04
スポーツ報知

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事