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実際に起きた「東京駅 超特急つばめ号殺人事件」現役首相が被害者 現場はいわくつき?

2019/11/14(木) 6:03配信

乗りものニュース

暗殺現場はかつて処刑が行われた場所だった

 現在の東京駅中央通路9・10番線ホーム下付近の柱に「浜口首相遭難現場」の解説板、付近の床には、銃撃された地点を示す菱形のプレート(中心にびょうの印)が埋め込まれています。大勢の人がそこを行き来していますが、解説板やプレートに気づく人はほとんどいないようです。

 ちょうどその地点は、先ほどの明治時代の地図を見ると、司法関連の施設が立ち並ぶなかでも、監獄署があった場所です。

 一般的な例として、当時の監獄では、そこで処刑が行われた所もありました。そうしたことを想像すると、この銃撃地点に土地の因縁のようなものを感じてしまいました。何か呪われた地点のような気がしたのです。

 監獄署と銃撃地点の関係は偶然のことで、私(内田宗治:フリーライター)の勝手な想像、妄想のたぐいですが、土地の歴史をたどっていくと、以前は現在とずいぶん違う施設があったことに驚いたり、いろいろと興味深いことに気づいたりすることを示したくて、述べてみました。

 東京駅では、1921(大正10)年11月4日、政友会京都支部の大会に出席のため丸の内南口改札に向かっていた原 敬首相が、青年に短刀で刺されその場で命を落とすという事件も起きています。政友会の強引な政策に不満を持ったという青年による暗殺でした。

 事件は19時20分に起きているので、当時の時刻表で調べると、原首相は19時30分発の急行神戸行き列車に乗車しようとしたようです。まだ超特急「燕」は登場していないので、この時代、京都まで最も速い昼間の特急でも10時間以上かかっています。そのため寝ているうちに移動できる夜行列車を選んだと思われます。

東京駅赤れんが駅舎の床に印された歴史的事件の跡

 当時の東京駅は長距離列車の場合、乗車用と降車用の改札口が別々で、それぞれ1か所ずつしかありませんでした。乗車用が南口(赤れんが駅舎南ドーム内)、降車用が北口(同北ドーム内)です。中央口は皇室専用などで、八重洲口側には改札口がありませんでした。

 現在、東京駅の赤れんが駅舎南ドーム内(丸の内南口改札を出た所)の乗車券自動販売機付近の壁に「原首相遭難現場」の解説板、付近の床にその地点を示す印が埋め込まれています。

 東京駅は1923(大正12)年9月1日の関東大震災では、周囲の広域火災で留置線などの車両が多数焼失したものの、赤れんが駅舎はほとんど被害がありませんでした。

 一方、太平洋戦争では1945(昭和20)年5月25日、B29による空襲で北口のドームに焼夷弾が落ち、火は駅舎の中を中央口から南口へと燃え広がってしまいました。内部はほぼ丸焼けとなり、1947(昭和22)年に2階建てとして復旧、平成24(2012)年に3階建ての戦前の姿に復元されました。

 現在、東京駅赤れんが駅舎は、周囲に林立する高層ビルに見下ろされながらも、威風堂々とした貫禄を感じさせています。構内には様々な魅力的なショップも入店しています。東京駅で時間に余裕があるときに一度、いくつかの事件に思いを馳せながら構内を歩いてみるのもいいと思います。

内田宗治(フリーライター)

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最終更新:2019/11/14(木) 19:52
乗りものニュース

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